【引退ブログ Vol.6】

貝島有香(フルーレ/医学部/慶應義塾湘南藤沢高等部出身)

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引退ブログリレーのアンカー、主将の貝島有香です。

今日は6人目にして引退ブログ最終日です。10年間のフェンシング人生を振り返っていたら長いブログになってしまいましたが、温かい目で最後まで見ていただけたら嬉しいです。

紹介文を書いてくれたみやこちゃんはプレイヤーで唯一の同期女子。高校時代、県大会にてフルーレで対戦した記憶がありますが、まさか大学ではエペで一緒に団体を組むとは思っていませんでした。慶應フェンシング部は男子選手41人に対して女子選手は8人しかおらず、団体戦は出場するだけでも常にカツカツ...だからこそチームワークはどこの学校よりも強い自信がありますし、種目間を超えた仲の良さが自慢で、試合中は大変さよりも楽しさが優っていました。

思い返すと、私が入部した時はフルーレに女子がいませんでした。高校3年の3月から大学の練習に参加していたのですが、道場改築中だったため薄暗い駐車場にピストを引いてファイティングしていました。フルーレの練習に行くと、駐車場の天井に頭がつきそうな大きな男子14人に囲まれて、それはそれは怖かったです。しかも、SFC出身である私にとっては神奈川県大会で無双していた塾高の先輩方は脅威の存在だったので、毎回練習に向かう電車の中でずっと緊張していました。ただの緊張どころではなく、少しでも粗相をしてはならないと毎分毎秒ビクビクしており、毎練習前に全身全霊でモップ掛けをしていたのを思い出します。持ち前の怪力を全て床掃除に発揮していました。それが今となっては体育会の主将をしてるだなんて、人生何があるか本当にわからないですね。

そもそも、フェンシングを始めた中学生の頃は体育会に入るだなんて夢にも思っていませんでした。12歳だった私は「剣が好き」という理由だけでろくに見学もせずにフェンシング部に入り、ただのチャンバラではなくルールが存在することに驚いたのを覚えています。当時はSFCの体育館がとても狭く、ピストが引けないほど練習場所が狭かったので、1週間に30分しかファイティングさせてもらえず、他はずっと筋トレかランニングでした。毎練習5km以上も走らされ、おかげさまでスポーツテストで学年1位を取る夢は達成できましたが、憧れの剣にはほとんど触れなかったので、機会さえあれば違う部活に行こうかと考えていました。それでも先輩後輩や同期とのコミュニケーションが楽しくて、なんだかんだ高校でも続けることにしました。「高校卒業したら絶対にフェンシングを辞める」と何千回も言っていたのですが、開き直った人は強いのか、高1の頃からインターハイと国体の出場権を得ることができてしまい、気付けば大学練にも参加するようになっていました。高2のインターハイ予選のフルーレ個人戦ではバラージにもつれこんだのですが、2試合とも逆転からの1本勝負でなんとか勝つことができ、そこで初めて努力して目標を掴むことの楽しさを知ってしまいました。さらにその年度末に関東選抜でサーブル準優勝も取ることができ、コロナの影響で全国選抜は中止となりましたが、やり切れなさもあって大学でフェンシングを続けたいと思うようになりました。それと同時に医学部も目指していたため、もし医学部に行けたら体育会との両立は忙しすぎるかなと揺らいでいました。しかし、やる前から諦めるのは私らしくないと思い、高3の夏には体育会に入ると宣言していました。

実際に大学進学してから4年間、かなりめちゃくちゃなスケジュール感で過ごしてきた自覚があります。私のモットーは「明日死んでもいいと思える一日を過ごす」であり、今日を充実させようという思いが強すぎて、部活に勉強に遊びにバイトにと色々欲張ってしまいがちです。ショートスリーパー体質なので睡眠時間はあってないようなものですが、いくら時間を削っても体ひとつでは足りないことが多々ありました。実習や試験が試合に被らないか常にひやひやしていたり、リーグ戦では試合中にベンチでオンライン授業に出席したり、先月は学校の試験を受けてすぐに京都遠征に向かったり...実は明日の早慶戦もフルーレの試合だけ出てすぐに国家試験に向かいます。それでも応援してくれるメンバー、監督、コーチ、家族や友人の存在が本当に心の支えとなり、どんなに疲れていても「今日も充実して良かった」と思える日々を過ごすことができました。特に、高校時代から目をかけていただいているさと子さんとは毎日プッシュアップを10回やる約束を交わしており、毎晩報告の連絡をする度に温かいメッセージをいただいていました。体育会に入る時や主将をやろうか迷っている時にも背中を押すような言葉をかけてくださり、私の元気の源となる大きな存在でした。感謝してもしきれないです。

とにかく私は大学でこの部活に入って本当によかったと心の底から感じています。4年間、スポーツを通してしか味わえない達成感や喜びというものにたくさん出会わせてもらいました。そして最後の年には主将という立場になり、組織や自分という人間に対する見方が変わったように感じます。体育会の主将のイメージといえば、威厳のある筋骨隆々としたスポーツマンを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。私はおそらく体育会主将の一般的なイメージとは少し異なると自分自身でも感じていて、それが新鮮さでもあり、不安の種でもありました。客観的に見られる自分の姿と実際の自分の性質とのギャップを感じ、自分はみんなが求めるリーダーとしての役割を果たせているのかについて毎日悩みました。私はよく強い人だと言われますが、とても心配性で決断に自信を持てないことが多々あります。自分がトップに立つことが本当に正しいのか不安でありながら、頼もしいリーダー像を作るために弱音を吐いてはいけないと思い、張り詰めている部分がありました。「強い人」というイメージを崩さないために、円陣で少し声を低くしてみたり、挨拶するとき満面の笑みで手を振らずにスマートに会釈してみたり、なんてこともしました。とにかく自己分析をした1年で、今まで目を背けてきた自分の短所に直面し、弱みを受け入れることで人として強くなれた気がします。良いチームのリーダーというのはただただ先頭を突っ走る人ではなく、円の中心となれる人、すなわち周りの人を巻き込める求心力としての存在だと考えるようになりました。そう思えるようになってからは周りの人を頼れるようになり、これこそがチームワークなのだと気付くことができました。フェンシングを通じて得たこれらの経験は、私の人生においてかけがえのない宝物であり、部活を頑張ってきたことへの答えが出せたような気がします。

私は来月から病院に出ます。そして将来、人一倍パワフルな外科医になりたいと思っています。一人前になるまであと7年あり、この先も様々な試練が待ち受けていると思いますが、私らしく根性で乗り切り、逆境を楽しんで生きていきたいと思います。

10年間、フェンシングを通して出会えた全ての方々に御礼申し上げます。

これまで応援してくださり本当にありがとうございました。

そして、今日で2024年度の引退ブログリレーは完走となります。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

慶早戦、絶対勝つぞ!