【引退ブログ Vol.18】 小澤祐太(サーブル/経済学部/慶應義塾高等学校出身)

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平素よりお世話になっております。本ブログを担当させていただきます、経済学部4年、主将の小澤祐太と申します。

戸田、紹介ありがとう。彼への思いは最後にまとめて書くのでここでは割愛させていただきます。彼は副将という立場ながら、医学部という多忙な日々を送っているので最後まで読む時間もないかもしれないので言っておくと、彼がいないとこの部活は回っていないと言っても過言ではないぐらい、大事な存在でした。1年間ありがとう。

さて、ついに私たちの代のラストブログもこれで最後となりました。

マネージャーとして入部した当初、まさか自分が選手に転向し、さらには主将となってこのブログを書いているなど、夢にも思っていませんでした。

この4年間は、間違いなく自分を大きく成長させてくれた時間でした。

構成などは、他部活の引退ブログを参考にしつつ、感謝の気持ちを込めて、人生初ブログを書いてみたので、拙く、少し長い文章ではありますが、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

以下が目次です。

1、大学4年間の自分史

2、伝えたいこと

3、友人へ

4、同期へ

5、早慶戦タスクフォースのみんなへ

6、1年生へ

7、2年生へ

8、3年生へ

9、サーブル人へ

10、副将の2人へ

11、両親へ


そもそも、フェンシングにまったく縁もゆかりもなかった自分が、なぜフェンシング部に入部したのか。

理由は単純で、道場が綺麗だったからです。

私は元々、慶應義塾高等学校の(軟式)野球部に所属し、小学1年生から約12年間ずっと野球を続けてきました。大学ではサークルに入り、遊びで野球でもできればいいかな、そんな軽い気持ちでいました。

しかし、普通部からの友人や塾高の友人が、体育会に入ったり、弁護士・会計士の勉強を始めたりと、それぞれ挑戦を始めていました。その姿を見て、「自分も何か頑張ってみよう」と思うようになりました。

右肩を怪我していたこともあり、野球選手として続ける選択肢はほぼありませんでしたが、準硬式や硬式野球部で裏方として関わる道は考えていました。

そんな中、準硬式野球部の部室を見に蝮谷へ行った際、隣にひときわ綺麗な建物があることに気づきました。それがフェンシング部の道場でした。私とフェンシング部の出会いです。


「やると決めたら動くのが早い」これは昔からの自分の性格で、気づけば4月下旬には体育会フェンシング部のマネージャーとして入部していました。

内部生のはずなのに、フェンシング部には全然つながりがなく、周りの友人からも「なんでフェンシング部?」みたいな反応ばかりでした。

動画編集やコード修理など、裏方としていろいろ任せてもらう中で、もちろんやりがいはあったものの、12年間ずっと“選手側”だった私は、どこかで物足りなさを感じていました。

そんな中で転機となったのが、6〜7月に行われた縦割り飯でした。

山田(海)さん(24卒・元主将)、伊藤さん(24卒)、貝島さん(25卒・元主将)という、今思えばかなり濃いメンバーに囲まれる中で、

「選手やれば?背高いし」

そんな何気ない一言に、すっかり調子に乗り、選手転向を意識し始めました。

さらに、当時のサーブルリーダーであり、大学から競技を始めた江頭さん(23卒・元副将)からの後押しもあり、選手への転向を正式に決意しました。


大学1年生の夏休みから、私の生活は一変しました。

フェンシング中心の毎日になり、とにかく必死についていくしかありませんでした。

同期が18人いる中で、大学始めは自分だけ。

しんどい日々が続き、当然ながら結果なんて出るはずもなく、

そもそも審判のルールすら難しすぎて全くついていけない。

そして何より、センスがありませんでした。

ファントの形からマルシェ、ロンペなどの基本動作がいつまで経っても身につかず、

できない → 教わる → リセットされる → できない

このサイクルの繰り返しで、自分でも情けなく、

「なんでフェンシング始めたんだろう」と後悔し始めていました。そんな時、同期の服部に

「そろそろ先輩に見捨てられるぞ」と忠告されたことは今でも覚えています。

今思えばとんでもない発言ですし、彼はこんなことを言ったことを覚えていないと思いますが、当時の自分にはかなり刺さり、焦りと悔しさで胸がざわついた一言でした。

それでも、春休み・夏休みの9時練の前に道場へ行き、ひたすら自主練をして喰らいつこうとした日々は、今思えば確実に自分の財産になっています。

少しずつ手応えを感じ始めた中で迎えた、大学2年生4月の全日本学生カップ。

上位24人に与えられる全日本選手権の権利がどうしても欲しくて、

「ワンチャンいけるんじゃないか」と淡い期待を抱いていました。

結果は73位。

掠りもしませんでした。

現実は甘くない、そう痛感しました。



時は少し飛んで大学3年生になる直前の春休み。自分の中で大きな決心をしました。 「3人目としてレギュラーを取る」という覚悟です。1つ下には絶対的アンカーの庄司がいて、そしてチームを引っ張るサーブルリーダーの加賀さん(25卒・元副将)、この2人に次ぐ実力をつけること。

選手に転向した以上、試合に出ないと意味がない。

そう自分にプレッシャーをかけ、必死に練習に励みました。

というかそもそも、周りが自分の倍のフェンシング歴を持つ中で、大学始めの自分が関東一部のチームでレギュラーを獲るには、人の2倍は練習しないと無理だというのは分かりきっていました。

そんな気合いを入れて過ごした春休み。

みんなは覚えていないかもしれませんが、庄司と加賀さんが怪我で離脱していた時期の部内戦(15本・10本・5本の総当たり)で、

25勝0敗という結果を残すことができました。その結果、リーグ戦のメンバーにも選出していただき、初めてチームのためになれた、部員として認められた、そんな手応えを感じました。

リーグ戦だけでなく、目標として掲げていた全日本選手権個人戦にも出場することができ、さらに念願だった早慶戦にも出場させていただきました。

結果と経験の両面で、自分なりに確かな手応えを感じた1年間でした。


その後、1つ上の代が引退し、どういうわけか主将になりました。今このブログを書いていて、1番に浮かんだ感情が「しんどかったなー」しか浮かんでこないということは多分めちゃくちゃしんどかったんだと思います。実際、すごくきつい1年間でした。

私は、この代の主将に就任した際、「何が自分に求められて主将に選出されたのか」を考え続けました。同期間投票による選出という背景がある中で、どこを評価してくれたのか、どんなチームを作って欲しいのか。主張が激しいのか激しくないのかはっきりしない同期の意見を1つ1つ噛み砕く中で、「あれ?思ったよりきつくね?」みたいな感じでどんどん消耗されている感覚がありました。就活や期末試験、部活の代替わり直後が重なった1月は本気で飛ぼうと思ってました。実際に、幹部ミーティングの後に全体ミーティングがあった時は吐き気がおさまらず、途中離脱したこともありました。夜布団に入って寝る時に、これ多分勝手に心臓が止まって2度と目が覚めることはないだろうな、と思って床についた日々は今でも忘れられません。後悔していることと、後輩へのアドバイスとしては、絶対に周りを頼った方がいいということです。主将は孤独、と言われがちですが自分もそのタイプだったなと反省しています。弱みを見せたら主将として情けない、一理ありますが、何事もやりすぎはよくないです。

そんな就活も、代替わり直後のゴタゴタもひと段落した4月。

迎えた全日本学生カップで、私は3位に入りました。エペの同期には、ワールドユニバーシティゲームズ王者の坂藤がいる。フルーレの同期には、パリオリンピック金メダリストの飯村がいる。では、サーブルには誰がいるのか。

2人には遠く及びませんが、少なくとも「誰もいない」という状況ではなくなれたのかな、と思っています。

リーグ戦、カンカレ、インカレとプレッシャーに押しつぶされそうになりながらもなんとか食らいつき、迎えた早慶戦。

「とにかく大きな早慶戦にしよう」と戸田(副将)と話していた代替わり当時の想像を遥かに超える早慶戦を作り上げることができたと思っています。

結果的にこの代の目標であった、「早慶戦総合優勝」の目標にはほんとに僅かに届かなかったけど、人生で1番忘れられない試合になりました。ありがとう。


・伝えたいこと


「凡人ぶって逃げない」

これは、私が大学4年間で最も大切にしてきたテーマです。

自分史でも触れた通り、私は小学1年生で野球を始め、高校卒業までの12年間、野球に打ち込んできました。しかし高校入学時、塾高硬式野球部の見学に行った際、そのレベルの高さに圧倒され、挑戦することから逃げるように軟式野球部へ入部しました。当時は「身の丈に合った選択」をしたつもりでしたが、心のどこかで「凡人を装って逃げた」という感覚が、ずっと残り続けていました。そして結局、軟式野球部でも最後の大会ではベンチを温めることとなりました。

だからこそ大学では、同じ後悔を繰り返したくないという思いがありました。フェンシング部にはマネージャーとして入部したものの、「このままではまた逃げたまま終わる」と感じ、選手へ転向する決意を固めました。

「自分にはセンスがない」「才能がない」「要領が悪い」

これらは、慶應普通部に入学して以降、私がずっと抱えてきた自己認識です。周囲には優秀な学生が多く、無意識のうちに自分を低く見積もり、その感覚を理由に挑戦から距離を取る。そんな自分に嫌悪感を抱きながらも、変えることができなかったのが中高6年間でした。

フェンシングを始めた当初も、何度も心が折れかけた瞬間があったことは間違いありません。それでも、努力を続ける周囲の友人たちに負けたくないという思いと、「才能やチャンスは待つものではなく、奪い取るものだ」と自分に言い聞かせながら、ここまで走り続けてきました。

そして、こうした感情は、体育会で過ごしていると誰もが陥りやすいものだと思っています。比較したくなくても、結果という形で周囲との差が突きつけられれば、立ち止まり、考え込んでしまうのは自然なことです。

それでも後輩のみんなには、そういう時こそ立ち止まらず、がむしゃらに、ひたむきに、何でもいいから練習してほしいと思っています。

「どうせ自分なんて」と考える前に、結果を出して見返してやろう、そのくらいの気持ちで前に進んでほしい。凡人かどうかは、挑戦をやめた瞬間に決まるものだと、私はこの4年間で学びました。死ぬ気でやっても結果が出なかったら連絡してください。微力ですが相談には乗ります。

・友人へ

私のフェンシング生活は、友人なしには語れません。多くの友人に恵まれていなければ、志半ばで競技を辞めてしまっていたかもしれません。一人ひとりのエピソードを挙げ始めるときりがないのでまとめますが、各体育会でそれぞれ厳しい環境に身を置きながらも最後までやり切った友人たち、弁護士や会計士、アナウンサー、映画監督といった夢を本気で追い続ける友人たちなど、挙げ始めればきりがないほど、努力を惜しまない仲間に囲まれた4年間でした。君たちと過ごした4年間は、私にとって誇りです。

それだけでなく、リーグ戦直前や部活で悩んでいた時期に、寄り添い、相談に乗ってくれたみなさまには、心から感謝しています。本当にありがとうございました。

・同期へ

4年間、人によってはそれ以上の年月、お疲れ様でした。早慶戦前の円陣で「俺たちがやってきたことに間違いなどない」と言いましたが、80%ぐらいは本気でそう思っています。組織である以上、全部が全部うまくいくことはないと思っていますし、18人も同期がいれば意見が食い違うのは当たり前のことです。夏合宿中、同部屋で私を止めてくれた合田と毛塚には出世払いで恩返しするから待っててください。その夏合宿で、私が高校生・大学の下級生に向けて土下座した時の心境も踏まえつつ、間違っていると思う残りの20%の部分はそれぞれが自分なりの答えを出せば良いと思います。これからも次のステージで頑張ってください。

・早慶戦タスクフォースのみんなへ

数ヶ月間、お疲れ様でした。めちゃくちゃ頑張っていたと思います。あまり協力できずですみませんでした。みんなには感謝してもしきれないぐらいです。華やかな、大きな早慶戦をやりたい、という勝手な我々の願いを叶えてくださり、ありがとうございました。小西(4年)に関しては選手としても活躍しながら、すごい複雑な事をしていて尊敬しかないです。ありがとう。田部井(4年)をはじめとしたマネージャーもありがとうございました。来年以降も、今年の早慶戦で得た学びや反省を生かして、チームを支えてあげてください。早慶戦をOBとして見れる日を楽しみにしています。

・1年生へ

1年間お疲れ様でした!

下級生仕事をはじめ、練習以外にも大変なことが多かったと思います。慣れない環境の中で、思うようにいかないことや、正直しんどいと感じる瞬間もあったのではないでしょうか。

それでも、練習に来て、フェンシングと向き合い続けたこと自体が、もう立派なことです。今感じている不安や悔しさは、必ずこの先の糧になります。

これから先、もっときつい時期も来ると思いますが、そんな時こそ一人で抱え込まず、周りを頼ってください。先輩でも同期でも、誰かに頼れることも強さの一つです。来年からでもリーグ戦メンバーとして戦っているのをすごく楽しみにしています。

追記 

何人かは寝坊癖をなおすように。

・2年生へ

1年間お疲れ様でした!

来年からは上級生だと考えると感慨深いですね。1年生の頃とは違い、練習や部活全体の流れも少しずつ見えるようになってきた1年だったのではないでしょうか。そんな今だからこそ、もう一歩、がむしゃらに、チームのことを「自分ごと」として捉えてほしいと思っています。

完璧な行動や正解を求めているわけではありません。うまくいかなくてもいいので、目の前の練習や試合に本気で向き合う姿勢を、下級生に見せてあげてください。その姿が、これからのチームをつくっていくはずです。

・3年生へ

1年間お疲れ様でした!


今年1年間、4年生に一番近い立場でチームを見てきた代だったと思います。3月か4月に行った合同ミーティングも、今では懐かしいですね。その時から、チームのことをしっかり自分ごととして捉えてくれていて、「本当に良い代だな」と感じていました。

強いて言えば、もっとぶつかり合って、喧嘩してもいいのかなとは思います。ただ、それ以上に、仲が良く、何があっても乗り越えられる雰囲気を持っている代でもあると思っています。だからこそ、きっとどんな場面でも、うまくやっていけると信じています。

主将の小城を中心に、みんなで支え合いながら、素晴らしいチームをつくってください。今年、副務としてチームを支えてくれた永代と金井も、その経験を活かして、これからはより広い視点でチームを支えていってほしいです。

今年以上の戦績を出せるように頑張れ!

・サーブル人へ

1年間ついてきてくれてありがとう!

サーブル人は程よく頭が悪くて、陽気な人の集まりだったのですごく居心地が良かったです。みんなとレクをするのもモチベの1つでした。服部(4年)と久保田(4年)も色々とありがとう。同期みんなで早慶戦に出られて本当に良かったです。服部は全日本まで、最後一緒に頑張ろう。来年は庄司(3年)を中心に、良い雰囲気のサーブルを引き継いでいって欲しいです。リーグ戦やカンカレには忘れ物があるので私の代わりに取ってきてください。君たちならできるはずです。

追記 

何人かは寝坊癖をなおすように。

・副将の2人へ

1、坂藤へ

小学生からの競技生活お疲れ様でした。名前自体は普通部の時から「フェンシングですごい人がいる」みたいな感じで聞いてはいたものの、初めて話したのは入部後でしたね。寡黙で感情の起伏が少ないように見える彼ですが、実際にその通りでした。1番の思い出はやはり渋谷で飲んでいたときのことですが、ここではやめておきます。接戦での勝負強さは本物で、負けたことはほとんど見たことがありません。大学3年生のインカレで、すき家を一緒に食べていた時に、彼が「もう卒業したらフェンシングはやんないかな」といった時に「全小、全中、インハイって取ってるからインカレ取ってやめたくね」みたいなことを話していたら最後のインカレでしっかり決勝での一本勝負をとって優勝しましたね。2年連続4冠達成という偉業は君がアンカーで君臨していたことも大きいと思います。最後の早慶戦で一本勝負を落としたのも、きっと後輩に託すための一本だったのでしょう。勝負師としての背中を、後輩たちはしっかり見ていたと思います。これからはフェンシングを辞めるとのことですが、ぜひ下の世代にその技術を継いでいってあげてください。4年間ありがとう。

2、戸田へ

話せば話すほど部活愛があふれ、ときに暑苦しくなるこの男には、感謝しかありません。

そもそも戸田を副将に指名したのは、私でした。幹部決めの際、すでに幹部入りが決まっていた自分に選択権があり、その中で彼を指名しました。正直に言えば、当時は「戸田にこの役割を背負わせていいのだろうか」と迷い、申し訳なさを感じたこともありました。フルーレ、エペ、サーブルと三種目がある中で、特にフルーレとエペは雰囲気も考え方も大きく異なる種目です。そんな中でも、戸田は周囲に流されることなく、自分の芯を曲げずに戦い続けていました。だからこそ私は、意見がぶつかる場面が増えることも覚悟の上で、戸田を副将に選びました。対話を重ね、時にはぶつかりながらもチームを前に進められる存在だと信じていたからです。戸田がどう感じているかは分かりませんが、私は戸田でなければ、今のチームはなかったと思っています。大きなプレッシャーの中で、確実にフェンシングの実力を伸ばし、フルーレの信頼を勝ち取ってきたのは、間違いなく戸田自身の努力の結果です。少し、チームのことを背負わせすぎてしまったかもしれません。それでも、最後まで一緒に戦ってくれたことに、心から感謝しています。ありがとう。

・両親へ

今まで本当にありがとうございました。

野球で慶應のユニフォームを着て神宮に立つという夢は叶えてあげられませんでしたが、それ以上に大切なものを得ることができた4年間だったと思っています。フェンシングを始める際、背中を押してくれたことにも、心から感謝しています。普通部の中学受験から大学卒業まで、たくさんのご迷惑をおかけしました。中学卒業時に書いた反省文の伏線は、一応回収できたと思うので、そこは少し甘めに見てください。これまで与えてもらった環境が、決して当たり前ではなかったことを、今になって強く感じています。社会人になったら、出世払いにはなりますが、少しずつ恩返ししていきます。本当にありがとうございました。


改めまして、3年半という短く、濃いフェンシング人生をありがとうございました。またフェンシングを通じて出会い、支えてくださった全ての方に感謝を申し上げます。これにて、2025年度引退ブログリレーは完走となります。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。来年以降の弊部も、変わらぬご声援をよろしくお願いいたします。