【引退ブログ Vol.14】 渡辺瑚子(フルーレ/経済学部/慶應義塾女子高等学校出身)
【引退ブログ Vol.14】 渡辺瑚子(フルーレ/経済学部/慶應義塾女子高等学校出身)

平素よりお世話になっております。
慶應義塾體育會フェンシング部、女子フルーレの渡辺瑚子と申します。
先日行われた早慶戦をもって引退いたしましたので、このように皆様にご挨拶するのはこれで最後になります。未熟な人間でしたが、監督、コーチ、OB・OGの方々、先輩や同期、後輩のおかげで何とか四年間走り抜けることができました。まず初めに、この場を借りて皆様に厚く御礼申し上げます。
飯村一輝から始まったこの引退ブログリレーもついに終盤です。
私はサーブルの服部からバトンを受け取りました。
彼は、高校始めながらインカレ四年連続出場、全日本個人も権利を獲得した強者フェンサーです。私より歴が短いのに、戦績は大きく上回られて悔しいと思うこともありました。だからこそ、そんな彼に褒められると嬉しいです!ありがとう
彼は一年生の頃、早慶戦メンバーに抜擢され、晴れて総合優勝を勝ち取った選手団の一員となりました。しかし、塾長招待会において「俺一試合だけ出てマイナス5したのに呼ばれちゃった」と苦笑いしていたのをよく覚えています。
そんな彼が先日の早慶戦では四年生としての意地を存分に見せてくれました。下級生の頃は試合中に声を出す印象があまりありませんでしたが、試合前から積極的に声を出し、堂々と戦っていました。そんなかっこいい姿を見ることができて、本当に良かったです。
ストイックにフェンシングに向き合い、体も鍛えていた服部を心から、尊敬しています。
最後に団体戦に出られて本当に良かったね。感動しました。
七年間お疲れ様でした!
さて、本題に入らせていただきます。
私はあのきらびやかで、これ以上ない最高の早慶戦を終えてから二週間ずっと、自分のフェンシング人生を振り返ってきました。
どうにか上手に抽象化しようと思ったのですが、様々なことがありすぎてうまくまとめられませんでした。
最後の早慶戦も事前に戦略をあれこれとたくさん考えたのに、結局なにも考えないことだけを意識したら勝利を飾れたので、ありのままの思いを綴らせていただきます。長いと思います。お手隙の際に読んでくださると嬉しいです。
私は慶應義塾中等部に入学し、フェンシング部に入ったことで競技生活をスタートさせました。
フェンシング部を選んだ理由は、初心者歓迎の運動部だったからです。慶應に入ったからには文武両道を目指さなければいけないと信じ込んで、とりあえず運動部に入ろうと思ったのです。そこでなんとなく目に留まった、運動部の中で楽そうな部活がまさにフェンシング部でした。
そんなフェンシングに熱意のない私でしたが、いろいろなことが巡り巡って三年生の時にキャプテンに任命されました。
それから責任感が出て、自分なりにフェンシングに向き合うようになったところ、競技の面白さに気付かされ、もっと続けたいと思うようになりました。
それとほぼ同じタイミングで千葉県の国体強化選手に選ばれたこともあり、進学予定の慶應義塾女子高等学校にフェンシング部がないにもかかわらず、競技を続けることにしました。
それには、たくさんの方々のご協力が必要でした。
改めて、こんな私一人のわがままを叶えるために尽力してくださった女子高の担任の先生、監督の竹生さん、練習に参加させてくださった検見川高校を始めとする千葉の皆さん、塾高生のみなさん、そしていつもレッスンを取ってくださったさとこさんに感謝申し上げます。ありがとうございました。
高校では、一緒に練習してくれる仲間はいるものの、試合の時はいつも一人。個人戦のみの出場だったので、団体戦や部活動への強い憧れを募らせるばかりでした。それが、早慶戦に懸ける思いでも綴らせていただいた、私の大学フェンシング部に入った理由になります。
そうして、體育會フェンシング部に入部しました。
高校の後半からは大学でもやろうと思っていたので、高校で引退した後も練習を続け、春休みは大学の練習に参加させていただいていました。
そこで改めて思い知らされたのは、女子選手の少なさです。
団体戦に出場したくてたまらなかった私にとっては、メンバー争いがないという点で天国のような場所でした。しかし、本当に少ないので、種目を問わず団体戦に出場することになり、不安な気持ちでいっぱいでもありました。
そんな気持ちで迎えた春のリーグ戦は、とても印象に残っています。
鮮烈な団体デビュー戦になりました。
専門外のエペはそれまでの先輩方の輝かしい成績のおかげで一部リーグでした。
私は昔から大学のフェンシング部に強い憧れを抱いていて、諸先輩方の引退ブログを隅から隅まで読んでいました。そこに綴られていたのは、一部昇格や一部死守への熱い想い。
一部リーグで戦うことの重要性を感じ取るのは容易でした。
だからこそ、自分が一年生ながら、そして専門外の種目において、一部リーグのピストを踏むのが怖くて怖くて仕方ありませんでした。
不安を拭うには準備しかないと思い、たくさんエペの練習に参加させていただきました。
剣の重さや、同時突きという概念に驚かされる日々でしたが、自分なりに向き合ったつもりです。
その時は何が何だかわからないまま、ただ必死に目の前の試合に取り組んでいました。そうしたら心強い先輩方のおかげで一部三位の結果を残せました。
実は、私が在籍していた四年間の中で、学連の女子団体における一番良い成績はこの試合です。
しかし、当時はその凄さを全く分かっていませんでした。
気が付いたら勝っていた、先輩が強すぎたから勝てたのだろうな、というのがその時思っていた正直な感想です。
しかし、今自分が四年生になって振り返ると、これらは必然だったと思います。
まず、当時四年生で圧倒的な実力がある原田紗希さんは授業等でお忙しい中、私にエペの基礎を手取り足取り教えてくれました。その上で、チームみんな、専門外の私も交えてたくさん団体練習を行いましたし、対戦相手の出順予想と、それぞれのプレーの特徴と対策までやりました。大学の団体戦って、ここまで綿密に準備をするのだなと驚かされたのを覚えています。
紗希さんの絶え間ない努力を続けてこられた上での揺るがない実力と、それに甘んじずチームみんな(私まで)を巻き込むリーダーシップ、そして定期戦などでは美しさも求める部員への愛。そのすべてがチーム全員の実力以上の力を引き出していたのだ、と感じます。
あれだけの実力がありながら、自分ひとりで点を取ろうとせずに(それを見せずに)チームを考えてくれる方はなかなかいないと思います。
その年の早慶戦は、四年生の女子選手である原田紗希さん率いる女子エペと、江頭麗万さん率いる女子サーブルで優勝を飾り、女子総合優勝を果たしました。
お二人とも、勝負に懸ける想いというのが一年生の私にもひしひしと伝わってくるような熱い先輩方でした。そして、なによりも強かったです。尊敬する先輩方です。
長谷山さん率いる男子フルーレの劇的な勝利も相まって、やはり、部活は四年生に引っ張られて動くものなのだ、とその時強く感じたのを覚えています。
今思うと、私はそんな四年生の背中を追いかけ続けていたのかもしれません。
それからは、一言で言い表すと、「二兎を追う者は一兎をも得ず」状態でした。
エペもフルーレもどっちつかず。両方勝ちたいと思うから両方勝てませんでした。
一年目でエペにおいて良い思いをした分、二年生の時エペが二部降格した時は自分に対する落胆が大きかったです。
正直に言えば、他大学のフェンサーに2023年のリーグ戦の話をしたら、きっと全員が「慶應は今年、女子エペが二部に落ちて、女子フルーレは二部のままだろう」と言われるような状況でした。
周りの部員にも、今年は難しいかもねと言われることが多かったです。
勝ちたいという強い想いはありましたが、語った後に、どうせ無理だよと言われるのが怖くて、周りを巻き込む勇気がありませんでした。それが私の後悔です。
そんなうちに、勝ちたいと思ってはいても、心の奥底では勝てないのだろうなと思ってしまう、弱い自分が出てきました。
一緒に出場していたみなさんはきっと信じていたと思いますが、私は信じ切れていませんでした。
結果が思うように出ないつらい現実から目を背けたくて、次第に複数の種目の団体戦に出ているだけで偉いと感じるようになってしまいました。
その次の年(三年生時)はインフルエンザにかかって慶同戦を欠場し、春のリーグ戦では少し転んで膝を痛めました。
そんな必要あるかなと思いながらMRIを撮ってみたら、左の前十字靭帯が切れていました。
治療には手術が必要で、その場合9か月間のリハビリをしなければならないと診断されました。それすなわち、試合に一年弱出られないということです。
なんで私がこんな目に遭うのかと思いましたが、当然の報いとも感じました。
あんなに出たくてたまらなかった団体戦に、もう出なくて済むなと思った自分がいたからです。
適当にやっていた罰が当たったのだと思います。
怪我をしてやっと、自分の団体への向き合い方、部活動への考え方が歪んでしまったことに気が付いたのです。
それから長いリハビリ期間を経て、初心に帰ることができました。
試合には出られないなりに、部での自分の役割を探したのです。
入ってくれた女子の後輩二人のレッスンを取ったり、試合の帯同をしたりする中で、やっと先輩としての自覚が芽生え、また必要とされている実感も湧いてきました。
二人のおかげでフェンシングが出来ない間も部活のモチベーションを保つことができました。本当に、ありがとう。
また、怪我をして試合の忙しさから解放されたことで、周りの部員一人ひとりの努力や苦しみについても、少しずつ理解できるようになりました。
自分がただ仕事をこなすように出場してしまっていた、そんな団体戦に、出たくて仕方がないけれど出られない男子部員がたくさんいることに、大変遅まきながら本当の意味で気が付きました。
また、フェンシングができることそれ自体に感謝するようになり、団体戦に出場できることが当たり前でないことに気が付きました。そして、いつも一緒に練習をしてくれる部員がどれだけありがたい存在か、身に染みて感じるようになりました。
そうして迎えた最後の一年間は、これまでになく真剣にフェンシング、そして部活に向き合ったと断言できます。
僭越ながら今年は女子リーダーを拝命しました。
一応名前はつきましたが、幹部ではないので特に決まった仕事はありません。
だからこそ、昨年、女子のせいで逃した早慶戦総合優勝を勝ち取るために、自分が一年生の頃のような勝ちにこだわるチームを作りたいと決心しました。しかし、私は残念なことに、23年卒の原田紗希さんや二年生の飯村彩乃のような圧倒的な実力はありません。
自分ができることは、四年としての最低限の実力を身に付けること、そして強固なチームワークを作ることだと思いました。
特に意識したのは、女子部員全員で三種目やりきる、やりきろうと自分から思える環境作りです。
女子フルーレの人数は増えましたが、サーブルは3人ぴったり、エペは0人でした。相変わらず種目の移動は必要な状況です。
目標を明確にしたうえで、時には優先順位をつけながら、どうやって三種目全てに向き合うか。そしてそれぞれにやりたい種目、思いがある中で、どれくらいリーダーとして選手のみんなに制約をかけるのか。
いろいろな種目の試合に出ることは、それまでずっと自分自身が悩んできたことでした。それだけに、後輩にはその経験を生かして寄り添い、なるべく心理的負担を減らしてあげたいと思っていました。しかし、四年生として言うべきところはしっかりと言わないとチームがまとまらないという部分でせめぎあっており、女子のみんなにはつらい思いをさせてしまったこともあると思います。
この議題はそれぞれに思いがあって、正解がないことだと思います。監督やコーチ陣なども多種多様な意見を持っていらっしゃって、とても難しかったです。
すぐにいろいろな意見に流されてしまい、特にリーグ戦のエペではみんなを振り回してしまいました。だからこそみんなには、一年間ついてきてくれてありがとうと伝えたいです。
今年はこれでも比較的楽な一年間だったと思います。それぞれの種目の人数の分布がはっきりしていたからです。
今述べたのは女子リーダーとしての数少ない仕事であり、女子チームの基本方針は私と4年女子サーブルの絢子ちゃんでそれぞれリーダーシップを取りながら専門種目に力を入れることでした。
入部当初は2人だった女子フルーレも6人になり、これまであまりなかったメンバー争いうという概念が生まれました。上級生が私一人という状況だったので、個人戦でもしっかりと結果を出さなければ、下級生に示しがつかないという緊張感が常にありました。
正直に言うと、より強いチームワークを作ろうという目標を掲げたのにもかかわらず、リーグ戦前は怪我からの復帰がギリギリで、自分のことばかりに集中していました。すぐに痛くなる膝のご機嫌を取ることや、忘れてしまった試合感覚を取り戻すのに必死でした。
そこで助けてくれたのが、同期です。
今年は同期を筆頭にして、男女で一つのチームという意識で一年間走り抜けました。
女子フルーレが、本当の意味でフルーレチームに内包されたのは今年が初めてだと思います。フルーレを専門とする人間だけで団体戦を組めた、初めて(久しぶり)の年だったからということもありますが、リーダーのたゆまぬ努力のおかげです。
自分自身のことでいっぱいで、後輩の機微に気が付けない時には、他のみんなが寄り添ってくれました。
これまで同期とは仲良しとは言えない関係性でしたが、この一年は友人の誰よりも長い時間を共に過ごし、大切な存在になりました。心を開くのが本当に遅かったけれど、受け入れてくれてありがとう。
そして、女子もチームの一員であるということを、例年よりも強調して運営してくれて、本当にありがとう。
同期だけ、あるいは全員でも話し合いの場を何度も設けるだけでなく、苦しそうな部員を見つけてはご飯に誘うなどのこまやかな気遣いの積み重ねで、情熱にあふれたチーム・フルーレになれました。
その結果、女子フルーレが入れ替え戦と早慶戦の一本勝負を制すことができたのだと思います。
チームみんなが当たり前に、勝ちたいと願い、勝てると信じ、勝つためにどうするのか議論できる闊達な空気感が、私達を勝利に導きました。
出場した女子選手だけのおかげではなく、フルーレのみんなで掴み取った、価値のある勝ちだったと確信しています。
実際に、その二試合の勝利は、フルーレの全員が自分のことのように喜んでくれました。それが私にとって本当に嬉しかったです。
実は今までは、そんな風に思ったことがありませんでした。
これは、私の当事者意識の欠如が原因なのかもしれませんが、同じフルーレチームでも男子の試合結果を見て、これは自分のおかげだ、あるいは、もっと自分にできることはなかったかなと思ったことがありませんでした。反対に、女子が勝てなくて責任を感じている男子のリーダーもいなかったように思います。(思い違いでしたらすみません)
これは誰かが悪いとか、そうだった自分を悔やんでも悔やみきれないといったことではありません。勝負とは本来そういうものだと思います。部内で強い人が団体に出て、出られなかった人の分の思いを背負う。勝ち負けの責任はメンバーが全て負う、というのもチームとしての一つの在り方です。
実際に、慶應のエペはそういう独立したチームで、何度も輝かしい成績をおさめているので、それらのやり方に必ずしも優劣は存在しないと思います。
ただ、今年のフルーレは全員が役割を認識し、なんでも言い合える家族のようなチームを目指していましたし、それを体現できたと思います。
みんなが一つになれたからこそ、勝った時の喜びはとても大きなものになり、映画「国宝」の喜久雄が見たような、最高の景色を見ることができたのだと思います。
部活動経験があまりないこともあり、それまで私は個人主義でしたが、チームが一つになることの素晴らしさを、大学四年生にして改めて実感することになりました。
ボコボコにされると若干不機嫌になる扱いづらい私だったので、男子のみんなは一緒に練習をするときに気を使ってくれていたと思います。それもあまり態度に出さず、私が頼んだ時には快く受け入れてくれるみんながいて、年齢関係なくアドバイスを言ってくれたおかげで強くなれました。全員が試合結果に関与していたと、心の底から思うし、それを伝えてきたつもりです。
その反面、夏ごろからは、男子に、特に後輩男子のみんなに対してもっとできることがないのかなと思うようになりました。特に技術面などでは、いつも与えてもらってばかりで、なにも返せていないと思ったのです。それこそ、男子の試合結果に自分も当事者意識をもって関与したい、と感じました。
それから、みんなと面談をしてみたり、飲みに行ってみたり、いつもよりコミュニケーションを取るようにしてみました。それによって、みんなの苦労や考えていることがわかるようになって、私にとってはモチベーションの向上につながりました。しかし正直に言うと、それがみんなにとって良い時間になっていたのか、与えてもらっていること以上のお返しができていたのか、自信がありません。
だからこそ、私ができることはやはり自分のフェンシングに向き合い続け、団体戦で結果を残すことである、という結論に至りました。女子ががむしゃらにやることで、男子に刺激を与えられたら、女子の勝利によってフルーレに完全勝利を与えられたら、と思ったのです。
最終的にやることは変わらなかったですが、面談を経ることで得たものはあったし、無駄なことは何もなかったと思います。より男子の試合を自分事として捉えられるようになりました。(それが興じて青森まで男子の全日本団体の応援に行ったのは、少しやりすぎだったかもしれませんが。)
そんなつもりで迎えた秋の試合。
関カレ・インカレでは女子は中央大学に大敗を喫し、全日本団体出場は叶いませんでした。
男子も、目標には遠く届かない結果に終わりました。
負けるとよくないことを考えるものです。
「この一年の部の目標が早慶戦総合優勝。そのカギを握るのは女子である」ということを、夏合宿の準備の日、高校生と大学生総勢100人弱の前で言われたのに、こんな結果を出してしまって、周りはどう思っているのだろう。女子フルーレが勝って総合優勝をすると同期に豪語してしまったけれど、こんな試合をして勝てるわけないだろと思われているんじゃないかな。などです。
今思うととんだ被害妄想ですが、本当に思っていました。
なぜかフルーレに対する他種目の目が気になって、この一年間のフルーレの努力の形が間違っていると思われたくない、そのために女子がもっと頑張らないと、など余計な事をずっと考えていたのです。
それからは本当に必死でした。
彩乃にどんな練習をしたら良いのか相談して、何度も男子に15本勝負を挑み、団体練習も重ねました。部活に来られない代わりに、と言って遠征先から私たちの動画を見てアドバイスまでしてくれるその姿は、みんなを燃え上がらせました。
そうして懸命に考えてやってはいましたが、なかなか目に見えた上達には繋がらず、こんなにやっても無理なら、もう勝てないかもなと思ってしまいました。人生で一番つらい3か月間だったと思います。
女子フルーレ唯一の四年生で引っ張っていく立場なのに、練習中に感情的になることもありました。イライラしすぎて同期を無視して帰って、家に帰った後になんであんなことしたんだろうと反省して謝罪の電話をかけたこともありました。きっと、後輩のみんなも私にたくさん気を遣っていたと思います。
そんな自分が嫌で、自分にできることなんて何もないと思っていたけれど、なぜか私よりも私のことを信じてくれる仲間がいました。
私の数少ない良いプレーを切り取って、これが出来たら早慶戦勝てると声をかけてくれる後輩。
俺は早慶戦女子フルーレが勝つ未来が見えると話してくれるリーダー。
瑚子さんならできる!と笑顔で声をかけてくれるチームメイト。
みんなのおかげで徐々に自信を取り戻していきました。
また、早慶戦の二週間ほど前に青森で全日本団体が開催され、自分は出場できないのに男子の応援に行きました。
感動的な男子エペの優勝に立ち会い、男子フルーレでは同じ時期に同じ慶應の系列校でフェンシングを始めた同期の小西君が日本代表相手に善戦したのを目撃しました。
彼が試合前にどれだけ苦しんでいたかを知っていたからこそ、彼の活躍が自分のことのように嬉しかったです。チームとしてはあと一歩及ばず、でしたが、「自分にもできるかも」と思えた、とても良い試合でした。
今思うと、これが初めて男子の結果に強い当事者意識を持った瞬間だったのかもしれません。
青森から帰ってきてから、憑き物が落ちたようにフェンシングが楽しくなりました。
純粋にフェンシングを楽しむ心で練習をしているときが、一番強かったです。
そんな濃い三か月を過ごしてきたので、ピストに立った時に余計な考えは浮かんできませんでした。
自分の積み重ねてきた努力を信じ、支えてくれたみんなを尊敬したから、それぞれが悔いなく実力をぶつけ、劇的な勝利を飾ることができたのだと思います。
フルーレの一年間の努力が正しかったということを、こんな形で示せて私は本当に嬉しかったです。
また、あのきらびやかな舞台を準備するために、タスクフォースのみんなは膨大な時間を費やしてくれました。それ以外の大学生や高校生も、前日や当日の試合後の遅い時間まで準備や片づけをしてくれました。
心から、全員に感謝を伝えたいです。ありがとうございました。
慶應のチーム力・一体感が試合だけでなく運営側にも如実に出た試合だったと思います。
これ以上ない、最高の引退試合でした。
一人で試合に出ていた高校生の自分からは考えられないほど、たくさんの方々に応援してもらえました。自然と嬉し涙が出てきて、心が熱くなる試合ができたのは一生の財産です。
また、私を入れ替え戦、早慶戦両方の一本勝負を獲った年の女子フルーレリーダーにしてくれて、ありがとうございました。
みんなに花を持たせてもらえました。
一生忘れません。
人生に当事者意識がなく、なんとなく慶應に入ってしまった私が、自分でフェンシングを始める決断をし、長かった暗黒期を経て、チームに支えられて早慶戦勝利、あんなに嫌いだった塾歌を、嬉し涙を流しながら歌うことができました。
慶應に入って、フェンシングを始めて、本当に良かったです。
本当にありがとうございました。
次はマネージャーの中尾みやびです。
一年生の春、食堂でたまたま遭遇した時「フェンシング部入ってよ」と軽い気持ちで誘ったら見学に来てくれましたね。その後、一週間くらい返事がなかったので諦めていましたが、なぜか今一緒に引退することになりました。人生とはなんとも不思議ですね。
この四年間の中で私とみやびの間には色々なことがありすぎて、思うことはたくさんあります。すべてをここで表明するのは長くなるので遠慮しておきますが、誰になんと言われても私はみやびの友達であるということはここに記したいと思います。残りは一年後くらいにご飯に行った時に言うね。
みやびは仕事をお願いしたらすぐ既読をつけて取り掛かってくれるので、いつも助けられていました。四年間マネージャーお疲れ様でした。私は早くみやびとは同期から友達に戻りたいと思っていたので、この日を迎えられてとても嬉しいです。
これからは、たまにご飯に行きましょう。
それでは、よろしくお願いします!
