【引退ブログ Vol.15】 中尾みやび(マネージャー/理工学部/慶應義塾女子高等学校出身)
【引退ブログ Vol.15】 中尾みやび(マネージャー/理工学部/慶應義塾女子高等学校出身)

ココ、お言葉ありがとう。主務および4年間マネージャーを務めました中尾みやびです。
彼女のブログにも綴られていましたが、私はこの部活に彼女に勧誘されて入部しました。振り返ると、彼女とは本当にいろいろなことがありましたが(フェンシングだけでなく、プライベートの話も含めて)、4年間私を支えてくれたのも彼女でしたし、彼女がいなければ私はここまで続けてくることはできなかったと断言できます。
彼女は本当に努力家で、誰よりも人のことを考え、そしてとても繊細な方です。フェンシングに関しては人一倍上手なのに、自分の種目だけでなく他種目まで、他の同期に練習をお願いしたり、アドバイスをもらったりする熱心な姿は強く印象に残っています。私はそんな努力家ところをとても尊敬していますし、常に人の立場に立って物事を考え、感謝と尊敬を忘れない彼女の姿に4年間刺激を受け続けました。本当に憧れの存在です。彼女は自分自身をお節介な人間と称することもありますが、私はそんな部分に同期が救われていたこともあったのではと思っています。少なくとも、私はとても救われていました。4年間本当にありがとう。早くイタリアン食べに行こうね。
さて、本題に入らせていただきます。
まず桑原先生、伊藤監督をはじめ澤田さん、さと子さんそしてご支援いただきましたOBOGの方々、コーチの方々、4年間本当にありがとうございました。私はマネージャーとして皆様と関わらせていただいたので、比較的選手よりお話をする機会が多かった立場でした。私は未熟な部分が多く、分からないことが常に発生している状態でしたが、私が皆様に事をお伺いするといつも皆様は1から教えてくださいました。本当に感謝してもしきれません。この場を借りてのお礼となってしまい大変恐縮ではございますが、お礼申し上げます。ありがとうございました。
そして現役の皆さん、そして私が入部した頃先輩だったOBOGの方々、4年間本当にありがとうございました。思い返せば最初の頃はマネージャーの同期がいなくて私1人でした。マネージャーとはなにか分からず入部してしまい、フェンシングのことももちろん分からなくて、ルールはもちろんですがそもそも同期の顔もみんな同じに見えてまず顔を覚えるのに苦戦しました。そもそもコロナでマスクしていたのでただでさえもうわけがわからない状態でした。中学高校とゆるく過ごしてきたので、本当に體育會という最初はとんでもないところに入ってきてしまったと思ったのも今では懐かしい思い出です。
そんな時、先輩方が名前と顔を一致させるのを手伝ってくれたり、団体戦だけじゃなくて個人戦も観戦しにおいでと言ってくれたり同期に私がフェンシングのことを質問したらすぐ教えてくれたり、そのような数々の助けを借りてきました。ここまで乗り越えられたのは本当に同期のおかげだと思っています。
私には部活を通して学んだことが2つあります。1つ目は、『当たり前の環境に感謝をすること』、そして2つ目は『運と縁』という言葉です。
1つ目のことは部活に限らず他のどのような状況にも当てはめることができると思います。みなさんが享受している環境というのは本当に当たり前のことではありません。部活に当てはめればマネージャーとして、私が享受してきた環境はOB OGの方々、そしてマネージャーの後輩、私をここまで育ててくださった先輩方、そして私にぶち当たってきてくれた同期たちみんなのおかげだと思うし、逆も然りです。私は4年間の部活を通して自分の精神的に未熟な部分がいかに多いかを気付かされたように感じます。入部当初、私は所謂"指示待ち人間"でした。先輩から何か指示をされないと動くことができなく、自分から動く、自分からやることを見つけていくということが苦手でした。そのような状況に私は数えきれないほど陥りました。例えば2年前の春合宿、夏合宿。今思い返せば私が初めて人から面と向かって注意された瞬間だったと思います。あの時から自分で動く大切さを学びましたし、人間として一段成長したように感じます。そしてそのようなたくさんの壁に当たって積み重なって、私は今の当たり前があります。みなさんも自分が一生懸命やっていると他人がやってくれたことに感謝をすることをついつい忘れてしまうこともあると思います。でも言葉にするだけで違うし、それを当たり前の環境にしたいなら日々感謝をすることが大事だと思います。
2つ目の「運と縁」という言葉は、4年生の春合宿で、私が精神的にとても苦しかったときに後輩からかけてもらった言葉です。正直に言うと、その頃の私は、部活を続けること自体に迷いを感じていました。1年生の頃から数えきれないほど「やめよう」と思った瞬間があり、そのたびに悩み、立ち止まりながらここまで来た4年間だったと思います。楽しいことよりも、苦しいことの方が多かったと感じる時期もありました。そんな中でかけてもらった「運と縁」という言葉は、私の心に強く残りました。この部活で出会えたこと、同じ時間を過ごせていることは、偶然のようでいて、きっと何かのご縁なのだと思えたからです。この言葉があったからこそ、「もう少しだけ続けてみよう」「せっかくのご縁なのだから大切にしよう」と前を向くことができました。あのとき、この言葉をもらっていなければ、今ここに立っていなかったかもしれません。大学には、サークルを含めて数えきれないほどのコミュニティがあります。その中で、この部活を選び、同じ代、同じ時間を過ごし、同じ目標に向かって取り組めたことは、本当に特別なことだと思います。理由は人それぞれでも、ここで出会えたという事実そのものが、何よりの「縁」なのだと、今では感じています。振り返ってみると、苦しかった記憶だけでなく、確かに楽しかった思い出もたくさんあります。何気ない会話や、遠征や合宿での時間、試合の緊張感や終わった後の空気感。そうした一つ一つが、今では大切な思い出です。
この部活で出会えた人たちは、私にとって一生の宝物です。これからも皆さんが、この「運」と「縁」を大切にしながら、それぞれの居場所を築いていってくれることを心から願っています。
さて、次はエペリーダーの坂藤秀昌です。
坂藤くんといえば、幅広い人に名前が知られているエペの代表選手であり、同期であり、そしてとても頼もしいエペリーダーだと思います。関わる人によって見えている一面が違う、そんな人なのではないでしょうか。仲良くなる前は、何を考えているのか掴めず、しかも「とても強い選手」と聞いていたので、正直話しかけるのが怖かったのを覚えています。何も考えていないように見えるのも関わらず、ふとした瞬間にズバッと的確な意見を言う姿に、何度も驚かされました。普段はほんわかした雰囲気ですが、フェンシングのことになるとしっかりスイッチが入る。その切り替えに、4年間刺激を受け続けてきた気がします。同期ミーティングや幹部ミーティングでも、ここぞという場面でバシッと意見を出し、みんなをまとめてくれる姿はとても頼もしかったですし、私もそのような姿を頼りにしていました。(対面では恥ずかしくて伝えられませんね)また、後輩たちが坂藤の頼もしい背中についていこうとする姿を何度も目にしました。それだけ周囲から信頼され、ものすごく頼られていた存在だったと言い切ることができます。4年間本当にありがとう。
そんな坂藤くんは、どんな引退ブログを書いてくれるのでしょうか。彼なら壮大なブログを綴ってくれると期待して更新を待ちましょう!
