【引退ブログ Vol.16】 坂藤秀昌(エペ/法学部/慶應義塾高等学校出身)

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こんにちは。本年度エペリーダー兼副将を務めさせていただいた坂藤秀昌です。前任の中尾さんからずいぶん立派な紹介文を書いていただき、正直どこから訂正すればいいのかわかりませんが有り難く受け取らせていただこうと思います。このブログについても、期待されているような壮大なものではなく拙いものになっている気がしますが、お読みいただけましたら幸いです。普段あまり長く話すタイプではない僕ですが、ここでは自分なりに競技生活を振り返りながらだらだら書き連ねてみようかと思います。

紹介してくれた中尾さんとはマネージャーの中でも一緒に過ごした時間が一番長く、僕にとってとても接しやすい存在でした。そのせいもあり、事務的なわからないことはとりあえず彼女に聞いてしまうことが多かったです。そしてそのたびに素早く対応してくれて本当にありがとうございました。

紹介文にもあった通り、「何を考えているのかわからない」といわれることが多い僕ですが、実際のところ本当に何も考えていないことが多かったりします。それでも現役時代はせめてフェンシングの場面では頭を使おうと必死に取り組んできたつもりでした。考える努力は積み重ねましたが、最終的に自分なりの理論を確立できるほどフェンシングについて深く理解できたかといわれると、そこまでには達することができなかったなぁというのが正直なところです。フェンシングIQが高い人は本当にうらやましいと思いますし、こういうことを書いていると、もう吹っ切れたと思っていた競技に対する未練が再び湧き上がってくるような気がします。学生で競技を引退するという決断をするのには3年近くかかりましたし、悔いなくやり切れたのかと聞かれたら正直自信をもって頷くことはできないかもしれません。オリンピックを目指す方々と一緒に練習させてもらい、試合で戦わせてもらい、あんなに刺激的な環境に身を置けることはそうないでしょうし、本当に魅力的な世界だったと思います。もちろんただ楽しいだけなわけはなく、その厳しさや残酷さという面も肌で間近で感じることもありました。それを踏まえてもなお、競技を続けていたら刺激にあふれた楽しい人生になっていたのかなと今でも思います。フェンシングに未練たらたらなやつに見えてしまうかもしれませんが、僕は負けず嫌いなので競技をやめるという自分の選んだ道を正解だったといえるように、競技者ではない今後の人生第二章も全力で充実させるつもりです。

第一章ともいえるフェンシング人生を振り返ると、かれこれ13年ほど剣を握っていたようで、熱しにくく冷めやすい自分がこれだけ一つのことに打ち込めたのは奇跡に近い経験だったと思います。そしてそれは間違いなく自分一人でできることではありませんでした。競技に打ち込める環境を作ってくださった両親、始めるきっかけをくださった太田雄貴選手、競技生活で出会ってくださった方々には感謝してもしきれないと思います。本当にありがとうございました。そして競技生活で出会ってくださった方々の中でも大きな部分を占めているのが、慶應のフェンシング部の方々だと思います。多すぎて一人一人に感謝を述べることはできませんが、本当に出会いの多い充実した環境でしたし、関わってくれた方々には本当に感謝しています。

ここでは特に、一番多くの時間を過ごしたエペの同期について話したいと思います。同期の伊勢、佐藤、南里、堤、未楽は、それぞれが例外なく部内の曲者キャラだったとは思いますが、そんな彼らが大学で競技を続けて、数えきれないほどの紆余曲折がありながらも全員で引退を迎えることができたことが本当にうれしいです。リーダーとして彼らをまとめ上げることができていたとは到底思えていませんが、気心知れた仲の良さやフェンシングへの強い気持ちがあったからこそそれぞれの形で最後まで同じ場所にいることができたのかなと思います。特に佐藤と伊勢には、全然部活に顔を出さないエペリーダーとしてたくさん迷惑をかけたと思います。すみませんでした。そしてありがとう。

次に同期ではないけれど小城へ。彼は後輩、友人、チームメイト、ライバルのすべての要素を詰め込んだような男で、僕のフェンシング人生で一番長く、そして多くの時間を一緒に戦ってくれました。小城がいなければ団体戦であそこまで熱く戦うことも、最高の結果を残すこともできなかったと思いますし、個人としても成長できなかったと思っています。こんな文章で伝えきれるようなものではないけれど本当にありがとう。

そして、普通部生の頃からいつもすぐ近くで見守ってくださったさとこさん、澤田さんにも本当にお世話になりました。お二人に帯同していただいたインターハイや全国選抜は今でも最高の思い出になっています。ありがとうございました。

最後に、これからも戦い続ける後輩たちへ。皆さんがこのブログを書く番になったとき、悔いの残らない競技生活だったといえるようになっていてほしいです。フェンシング部も年々人数が増え、その分競技に対する向き合い方やフェンシング部にいる理由は人それぞれだったりするのかなと思います。中には、どうせフェンシングするのは学生のうちだけ、勝っても負けても大差ない、なんて思う人もいるのかもしれません。そんな人たちにこそ、良い意味で馬鹿になって全力で競技に取り組んでみてほしいと思います。何事も打算でやっていては面白くありません。勝負の世界である以上、全力で取り組んで打ちのめされるか実を結ぶかはわかりませんが、そこまで真剣にやりこまないと見えてこないものもあると思います。僕は、「人事を尽くして天命を待つ」という言葉が好きなので、ピストの上で自信を持てるようになるために常にこの言葉を意識していました。トーナメントで当たる相手はランキングが何位だなんてどうでもいいことで、皆さんの自信を削ぐノイズでしかありません。余計なことは考えず、自信と集中だけをピストに持ち込んでください。納会でも話した通り、ピストに立てる時間はそう長くありません。試合の日が来たときも、引退の日が来たときも、「人事は尽くしたな」と思えるよう日々の練習を頑張ってください。ここまで読んでいただきありがとうございました、僕自身のブログはここまでとして次の仲間の紹介に移りたいと思います。

次は、フェンシング部を愛しフェンシング部に愛された男、フルーレリーダー兼副将の戸田拓海です。

彼との出会いは中学二年の頃でした。中学校の体育館で僕がさとこさんと参加していたフェンシング体験会に、正直なところ茶化しに来たような形で顔を出していたのを今でもよく覚えています。その時ただのクラスの友人であった彼がフェンシングにのめり込み、最後まで全力でやり切る存在になるとはその時は想像もしていませんでした。

時には暑苦しい奴やなと思うこともありましたが、彼がフェンシングを始めたこと、今日まで手を抜かずに走り続けてくれたことを、同じ時間を過ごした人間として本当にうれしく思います。競技への向き合い方も、部活への関わり方も常に本気でした。

そして、彼は誰よりもフェンシング部のことを考えていました。
個人の結果だけでなく、「この部がどうあるべきか」「どうすればもっと良くなるか」を、いつも真剣に考え、行動に移してくれる存在でした。

彼がいなければ、あんなに素晴らしい早慶戦を開催することはできなかったと思いますし、今の部にある一体感や良い雰囲気も、間違いなく生まれていなかったと思います。表に出ることも、裏で支えることも、どちらも厭わずやり続けてくれました。

7年間ありがとう。

そんな戸田が、どんな引退ブログを書くのか。
きっと想いが溢れて、かなり長い文章になる気がしますが、それも彼らしさだと思います。読む側としては、楽しみにせずにはいられません。

それでは、次のバトンを戸田拓海に託します。