【引退ブログ Vol.2】 荒井佑(フルーレ/法学部/慶應義塾高等学校出身)
【引退ブログ Vol.2】 荒井佑(フルーレ/法学部/慶應義塾高等学校出身)

4年フルーレの荒井佑です。
一輝、紹介ありがとう。一輝といえば、オリンピックで金メダルも獲得した、まさにフェンシングの天才です。そんな尊敬する一輝から紹介してもらえるのは、素直にうれしいです(笑)。
一輝とフェンシングの話をすると、毎回「本当にすごいな」と思わされます。ただの才能だけではなく、努力を積み重ね続けられるところが、彼がフェンシングの天才である理由だと思います。入学式で初めて会ったときのことも、今となっては懐かしいです。「すでに入部を決めていた彼」と紹介してくれましたが、実は当時の僕はまだ迷っていて、正直なところ、憧れの飯村一輝と写真を撮りたかっただけだった気もします。許してね。
そこからの4年間で、一輝に対する印象は大きく変わりました。とことんフェンシングにこだわる姿勢や、実は周囲にすごく気を配っているところなどなど、他にも様々・・・
僕たちフルーレ4年の一つの夢は、ロス五輪で一輝がメダル取る試合を現地で見る事です。それまでも、それからも、一輝のことを心の底から応援し続けているし、良い飲みともでい続けてくれると嬉しいです。
さて、本題に入ろうと思います。
どこまで自分の思いを言葉にできているか分かりませんが、これまでのフェンシング部人生を振り返りながら、精一杯つづりました。拙い文章ではありますが、ご一読いただければ幸いです。
フェンシングを始めたのは、高校1年生のときでした。そこから7年間もこの競技を続けることになるとは、当時の自分は想像もしていなかったと思います。
それまで球技を中心にやってきた自分にとって、フェンシングはとても新鮮で、強く心を惹かれるものでした。オンガードの構えを覚えるところから始まり、初めて剣を握ってファイティングをしたときには、まるでWii Sportsのチャンバラをしているような感覚で、「このスポーツは楽しい」と素直に感じたことを、今でも覚えています。
しかし、高校3年間は決して順調なものではありませんでした。1年生の夏に病気を患い、1か月半の入院を余儀なくされ、練習や夏合宿にも参加できませんでした。復帰後、同じ時期にフェンシングを始めた同期にまったく勝てなくなり、実力の差をはっきりと突きつけられたことは、大きな衝撃でした。
その後も入退院を繰り返しながら、どこまで自分の体が動くのか、その限界を探るような練習の日々が続きました。隣で歯を食いしばりながら高みを目指す同期の姿と自分を比べては、成長の速度が明らかに遅い自分に苛立ちを覚えることも多かったです。
高校生活の集大成として迎えたインターハイ予選も、結果はあっけない敗退で、夢の舞台に届くことはありませんでした。引退のときには、目標を達成できなかった悔しさと同時に、「やっと終わることができた」という安堵を感じていたのも、今振り返ると正直な気持ちだったと思います。
そんな経験もあり、大学でもフェンシングを続けるという選択肢は、当初の自分にはありませんでした。高校でやり切った、もう十分だと、どこかで思っていたのだと思います。
しかし、入学式の日に澤田さんから「もう一回、大学でフェンシングを楽しんでみないか。もっと楽しめ」と声をかけていただいたことが、大きな転機となりました。フェンシングを心から楽しんでいた高校1年生の頃の気持ちを、いつの間にか忘れていた自分にとって、その言葉は強く胸に残りました。
もう一度、あの頃の気持ちを味わうために続けてみてもいいのではないか。そう考え直し、「もしもう一度入院することになったら、そのときはすぐに辞めよう」と自分の中で区切りをつけて、大学フェンシング部への入部を決めました。
ただ、現実はそう甘くはなく、大学に入ってからも夏頃には再び入退院を繰り返し、練習に参加できない日々が続きました。自分はもうフェンシングができる身体ではないのではないか。そう感じ、機会があれば部活を辞めて、まったく別のことを始めようと考えていた時期もありました。
それでも、いざチームを離れることを想像すると、どこか寂しさが残り、「次に具合が悪くなったら」と自分に言い訳をしながら、その決断を先延ばしにしていました。
そんな中で、2022年度の早慶戦を観たことが、自分の気持ちを大きく変えました。早慶戦に向けて高まっていくチームの雰囲気、そしてシーズンを通して一度も勝てていなかった早稲田に勝利し、総合優勝を勝ち取った先輩方の姿。その光景を目の当たりにして、「自分も大学4年生で、ここを目指したい」と強く思うようになりました。
この瞬間に、自分の中で目標がはっきりと定まり、もう一度フェンシングと向き合う覚悟ができました。
しかし、理想通りにはいかないものです。4年生の春シーズンは体調が安定せず、結局一度も試合に出ることができませんでした。
そんなとき、同期から「目標をもう一度考え直した方がいい。個人戦で勝つことを目標にするのはやめた方がいい」と言われました。4年次の個人目標として掲げていた「全日本個人・早慶戦出場」を見直し、「チームで早慶戦を優勝する」という目標へと視点を移す、大きな転換点でした。
本当によく、あんなにも厳しいことを言ってくれたなと思います。今となっては、感謝の気持ちしかありません。本当にありがとう。
そこからの半年間は、驚くほどあっという間でした。1年生の頃に思い描いていた理想の4年生像と、特に目立った武器もない今の自分。フルーレチームとして目指す姿と現状の差。そうしたさまざまなギャップに悩みながら、必死に自分にできることを探し、少しでも理想に近づこうともがいていた半年間だったと思います。
そんな中で、もし後輩の皆さんに何か一つ伝えられることがあるとすれば、部活におけるコミュニケーションの大切さです。
特にフルーレの後輩とは、この1年間、よく話をしたと思います。練習中の何気ない声かけや、技や調子についてのちょっとした会話の中で、「練習中もよく見てくれていて、嬉しかった」と言ってもらえたことがありました。その一言は、今でも強く印象に残っています。
ほんの少し気にかけるだけでも、「見てくれている人がいる」「応援してくれている人がいる」と感じられる環境はつくれるのだと思います。そうした積み重ねが、苦しいときに踏ん張る力や、前を向くきっかけにつながっていく。自分はそれこそが、チームとして、部活としてフェンシングに取り組むことの強みだと感じています。
ここまで自分のフェンシング部人生を振り返ってきましたが、最後にどうしてもお伝えしたいのは、これまで自分に関わってくださったすべての方々への感謝の気持ちです。
この場で感謝を述べることが適切かは分かりませんが、今年度は同期も多く、納会などの場では一人ひとりに想いを伝える時間も限られていると思います。だからこそ、この引退ブログという形で、改めて感謝を述べさせていただきます。
まず、これまでご指導・ご声援をいただいた監督、コーチの皆様、本当にありがとうございました。高校からフェンシングを始め、何も分からなかった自分に対して、技術面だけでなく、競技に向き合う姿勢や考え方まで丁寧に教えていただきました。結果という形で恩返しができなかったことは心残りですが、それ以上に、人として成長するための多くの学びを与えていただいたと感じています。
そして、先輩方、同期、後輩のみんなへ。
今日まで同じチームの一員として、一緒に悩み、支え合い、戦ってくれて本当にありがとうございました。苦しい時間や思うようにいかない時期もありましたが、それでも最後までフェンシングを続けることができたのは、間違いなく皆さんの存在があったからです。フェンシングを通してだけでなく、人との関わりの中で多くのことを学ばせてもらいました。
自分がどこまで皆さんに恩を返すことができたかは分かりませんが、練習中の声かけや、何気ない会話の一つひとつが、少しでも誰かの力になっていたのであれば、これ以上嬉しいことはありません。
フェンシング部で過ごした7年間は、自分にとってかけがえのない宝物です。この経験は、これから先の人生でも必ず自分を支えてくれると思います。本当にありがとうございました。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
続いての引退ブログは、エペの伊勢碧です。
高校から徳島を離れてやってきた彼は、フェンシングも書道もこなすうえに、瀬戸康史似のイケメン。まあ、正直かなり完璧です。彼とは付き合いも7年目になりますが、いまだにフェンシングで入ってきたのか、それとも書道推薦で入ってきたのか分かりません。
部活で忙しい中でも、法曹を目指して法律の勉強とフェンシングを両立させており、同期の法律学科の中でも期待のホープだと思っています。将来、何かあったら弁護をお願いしますね(笑)。
そんな彼のフェンシングは、「何が上手いのかは分からないけれど、とにかく強い」というのが、僕の率直な感想です。全日本でも優勝した最強のエペチームの中で戦い続け、彼がピストに上がるとなると、同期は大盛り上がりでした。たまーに珍プレーを披露することもありましたが、自分の仕事をしっかりこなしてピストから戻ってくる姿は、とても頼もしかったです。
そんな愛されキャラの伊勢が語る引退ブログを、僕も楽しみにしています。それでは、よろしくお願いします!
