【引退ブログ Vol.4】 久保田絢子(サーブル/経済学部/慶應義塾湘南藤沢高等部出身)
【引退ブログ Vol.4】 久保田絢子(サーブル/経済学部/慶應義塾湘南藤沢高等部出身)

伊勢からバトンを受け取りました、サーブル4年の久保田絢子です。
まずは伊勢、紹介ありがとう。
伊勢とは種目が違ったので直接関わる機会はそれほど多くありませんでしたが、こんなにも温かい言葉で紹介してもらえて少し照れくさいです(笑) 。
4年間を振り返ると、楽しいことばかりではなく、思うようにいかない時や苦しいと感じる瞬間もたくさんありました。それでも諦めずに頑張ってこられたのは、伊勢をはじめとする同期や部員一人一人を心から尊敬していて、常にパワーをもらえていたからだと思います。
伊勢は、荒井の引退ブログからのバトンにもあった通り、法律の勉強と部活を両立させていて、同期で帰る時に大変そうな話を聞くたびに、本当にすごいなと刺激をもらっていました。そんな同期がすぐそばにいたからこそ、お互いに鼓舞し合い、誰かの努力する姿に背中を押されながら、前を向いて踏ん張ることができたのだと思います。
自分自身のことで精一杯な時も多かった私ですが、同期として同じ体育会フェンシング部という時間を過ごしてきた仲間からもらったこの言葉は、これから先も大切にしていきたい宝物です。本当にありがとう。
高校からフェンシングを始め、今年で7年目となりました。大学で続けるかを迷いに迷い、最終的に高校時代からたくさんお世話になってきた1つ上の先輩の有香さんや、高校は違えど同じ慶應でずっとフェンシングを頑張っていた同期の瑚子ちゃんに背中を押してもらい、大学1年の夏休みに入部し、今に至ります。
まず初めに、この2人には、私が入部するにあたって喜んで迎え入れてくれたことに感謝すると同時に、長い間お世話になってきたことに本当に感謝しています。
また、途中入部であったにも関わらず、部員として温かく受け入れてくださり、ご指導してくださった監督, コーチの方々, 先輩方には厚く御礼を申し上げます。
大1の夏に入部した私ですが、初めの頃は練習に参加することが怖かったというのが正直な気持ちです。同じ慶應という名の高校でフェンシングをしていたとはいえ、コロナ禍だったこともあり、入部するまで大学フェンシング部と関わったことがほとんどなく、フルーレには知っている先輩や同期がいると分かっていても、サーブルには知っている人が誰一人としていないという状況に少なからず不安はありました。加えて、入部した当初、サーブルには女子が麗万さん(当時4年の先輩)1人しかいなかったので、引退されてしまってからはすごく心細く、上手い男子に圧倒され、自分の弱さが不甲斐なく泣いてしまう日もありました。そんな時に声をかけてくださったり、一緒に頑張ろうと励ましてくださったりしたことは今でも鮮明に覚えており、恵まれたこの環境でもっと強くなりたいと思える糧となっていました。
自分自身の弱さに奮闘する日々でしたが、お世話になった監督, コーチの皆さん, 憧れの先輩方, 頼れる同期, 心強い後輩たち、全員の存在があったからこそ、部の一員としてここまで頑張ってこられたと思っています。そしてそれは、間違いなく慶應だったからだと思える、そんなチームであったことに私は誇りを持っています。
「自分の選択に後悔しない」
これは私が大事にしている考えなのですが、小さな選択から大きな選択まで、いくつもの選択の積み重ねがあって今があります。それはきっと皆さんも同じで、フェンシング部の人たちはフェンシングという共通点を、それ以外で関わってくださっている方々においても何らかの共通点を持って出会えたことは、選択の積み重ねの上に成り立っている、奇跡に近いことだと思っています。
どの選択を選んだとしても、決して良いことばかりではなく、「あの時こうしてれば」と思う瞬間は誰にでもあると思います。ですが、それをずっと考え続けてしまうと、自分自身のこれまでを否定することに繋がってしまうと思います。だからこそ、その瞬間に「反省」をすることはあっても、長い間引きずって「後悔」することがないように心がけています。
そして、この考えを心がけるにあたり、「考え方の転換」が重要だと思わせてくれたのがフェンシング部での活動です。恵まれた環境に身を置かせてもらったからこそ、できない自分が悔しくて不甲斐なくて、練習や試合で泣いてしまったことも多々ありました。コーチの澤田さんを含む多くの方を心配させてしまいましたが、そこで心折れることなく続けてこられた理由として、コーチから頂いた言葉や部員の努力する姿からの刺激はもちろん、内的な動機づけの1つとして、「これだけ悔しいと思える・本気で泣けるということは、自分にもできると思っていたからなのではないか」と考えるようにしていたことが挙げられます。
また、普段の練習では男子に勝てることは少なく、苦しい時期もありましたが、「ここで男子とたくさん練習すれば、試合で女子のスピード感を怖いと思うことなく、逆に自分のスピードを強みにできるのでは」と考えるようにしていました。このような考え方の転換が、ネガティブだった私を少しポジティブに成長させてくれたと思っています。
本当はここでブログを締める方向に持っていこうと思っていましたが、同期のみんなが結構書いているという噂を耳にしたのと、納会では2~3分で短くとのことで、あまりフェンシングのことを振り返って話す時間がなかったので、少しだけ書こうと思います。
私にとって思い出深い試合は2つあります。
1つ目が、1年生の時の早慶戦です。
夏に入部してから早慶戦までに、団体戦としては慶関慶同・関カレがありました。いずれの試合においても勝つことができず、迎えた早慶戦。これまでに戦って負けてしまった学校に比べて早稲田はリーグ一部で二部の私たちより明らかに強い…
「1点でも多く取って、麗万さんと一緒に組む最後の団体戦の時間を少しだけでも伸ばしたい。」
そんな思いで試合当日を迎えました。
3巡のうちの1、2巡目。1巡目の試合途中に足を捻挫してしまい、今改めて動画で見ても、私の動きはかなり固かったように思います。スコアとしてもビハインドで、絶体絶命かと思われましたが、麗万さんが逆転してくださり、その逆転を何としてでも死守しなければと3巡目は記憶がないくらい必死でした。結果として45-41で勝利を収めることができ、私は人生で初めて嬉し泣きというものを経験しました。そこで見た先輩の姿はとてもかっこよく、「いつか私も麗万さんのように強くなりたい!」という気持ちが、苦しい時に何度も背中を押してくれていました。
2つ目は、今年の関カレです。
リーグ戦では2部優勝・1部昇格を目指していましたが、最後のリーグ戦でも叶わず、サーブルはリーグ戦が終わってから次の試合まで約4か月空いてしまうため、毎年私の中で夏はモチベーションを保つのが辛い期間でした。ですが、今年の10月の関カレはリーグで負けてしまったライバルである専修との対戦で、リベンジを果たせるのもラストになるということがわかっていたため、「このままでは終われない」という思いが目標となり、気持ちが落ちそうなときも乗り越えることができました。関カレの前日、思いが強すぎたのか、深夜に体調を崩して泣きながらの状態で寝られなかったのは、今ではいい思い出です(笑)。
自分が4年生という立場になって、憧れていた先輩のようになれたかと自問自答をするたびに未熟だと感じる瞬間ばかりでしたが、この試合は最後までチーム全員が諦めずに掴み取ることのできた勝利でした。1年生の頃、先輩の背中を見て「強くなりたい」と思った自分が、今度はチームの中心となる立場としてピストに立って点を重ねられたことに、少しだけ成長を感じることができた試合だったと思います。
最後の早慶戦では、総合優勝を僅かなところで逃してしまいましたが、一つの目標に向かって気持ちを一つにし、全員で戦い抜いた時間は、結果以上に価値のあるものだったと思います。この4年間で得られた経験と出会いは、これから先の人生においても、必ず私の支えとなってくれると信じてます。
あの時、フェンシングを続けるという選択をした自分は、本当に正解だったと心から思える大学4年間でした。フェンシングをしていなければ味わうことのできなかった悔しさも嬉しさも、数えきれないほど経験しました。振り返ると、圧倒的に悔しさの方が多かったかもしれません。しかし、チームのみんなと同じ気持ちを共有し、同じ方向を向いて戦えたこと自体が、何事にも代えがたい最高の瞬間の連続だったと思います。
部員の皆さん、至らない部分も多かった私ですが、これまで長い間本当にお世話になりました。ありがとうございました。
感謝を伝えたいのは監督, コーチの方々, 部員の皆さんだけではありません。ここでは手短に綴らせていただきます。
まず初めに、いつも手厚いサポートと理解を示してくれた両親。部活中心の生活や度重なる怪我で心配や迷惑をかけてしまいましたが、おかげさまで実りある競技生活を送ることができました。本当にありがとうございました。
部員の中でも何人かは知っていると思いますが、私がフェンシングを始めたきっかけの1つは、父がフェンシングをやっていたからです。そんな父に一言。
絶対いつか “サーブルで“ 勝負しましょう。(もちろんパッサバンなしで)
絶対勝ちます。
次にOB・OGの方々。在部期間が被っていた先輩方はもちろん、部員としての在籍期間が被っていない先輩方に関しても、レッスンやファイティングを通してたくさんのアドバイスをいただき、多くの団体戦を応援していただきました。お忙しい中、道場や合宿に足を運んでくださり、本当にありがとうございました。後輩にとって私もそんな素敵な先輩になれるよう、今後も努力していく所存です。
そして、私の大好きな友人のみんな。結構気まぐれな私であるにも関わらず、仲良くしてくれたり、部活への理解を示してくれたりと非常に助けられていました。尊敬できる友人ばかりで、「みんなも頑張っているから私もそんなみんなに恥じないように頑張らねば!」といつも心の支えにしていました。これからも末長くよろしくお願いします。
その他、部活内外を問わず、大学生活で関わってくださった全ての方々に感謝しています。ありがとうございました。
続いての引退ブログは、マネージャーの毛塚智哉です。
毛塚とは小学校が同じだったので、SFCに高校から入って学年の名簿を見た時にも驚きましたが、まさかフェンシング部で一緒になるとは思ってもみなかったので、本当に驚きました。何もかもが新しく慣れない環境ばかりでしたが、高校始めの同期といった点でエペを始めた毛塚も同じだったので、種目は違えどすごく心強かったです。そして大学では、マネージャーとしてサーブルも含め全種目のシフトに入ってくれていたので、長い間大変お世話になりました。
毛塚は高校時代には入部半年で副務に抜擢、そしてその後主務も務め上げたシゴデキで、大学においてもマネージャーとしての貢献度は非常に高く、チームに欠かせない存在です。今回の早慶戦においても、選手入場映像の制作や写真撮影など、数々のかっこいいコンテンツを仕上げてくれました。まさに早慶戦を成功に導いた立役者と言えるでしょう。
そんな優秀な毛塚がブログに何を綴るのか。乞うご期待ください!
