【引退ブログ Vol.5】 毛塚智哉(マネージャー/法学部/慶應義塾湘南藤沢高等部出身)
【引退ブログ Vol.5】 毛塚智哉(マネージャー/法学部/慶應義塾湘南藤沢高等部出身)

久保田、紹介ありがとう。久保田とは地元の公立小学校で一緒でした。同じクラスにもなったことあったし、多分出席番号が前後ってこともあったような、、、?小6の夏、唐突に海外へ転校した時、9月入学の制度を知らなかった当時の私は「なぜ卒業まであと半年いなかったんだろう」と、子供心に不思議に思っていました。それから数年後の高校1年生の時に張り出された名簿を見て、「見たことある名前があるな」と驚いたのを覚えています。もしかしたら同姓同名かもなと思っていた矢先、フェンシング部の仮入部に行ったら、小学生の頃からあまり変わらない久保田がいて更に衝撃を受けました。まさか高校、大学と7年間部活の同期として過ごすとは高1の当時は想像すらしていませんでした。また、大学フェンシング部入部時にはほぼ久保田しか知り合いがいないといった中でとても心強かったです。こちらこそ、長い間お世話になりました。
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さて、本題に移ります。自分が語れることはあまり多くはないと思いますが、慶應義塾體育會フェンシング部の一員、そして「いちマネージャー」として何を意識し、どう向き合ってきたのか、その思考の跡を綴ろうと思います。
拙い文章にはなりますが、最後までお付き合いいただければ幸いです。
私がフェンシング部に入部したのは1年生の12月でした。後発での入部、かつ部内初の男子マネージャーという立場。「男なのにマネージャーなの?」という前時代的な声をかけられることもありました。
そのため、みやび、ちえちゃん、先輩方にはできない、「自分にしか出せない価値をどう示すか」、「自分の得意なことで、部にどう還元できるか」、その問いを自らに投げ続けていました。
そこで私が活路を見出し、注力したのがSNSによる広報です。当時の部のSNS、とりわけInstagramはお世辞にも活発であるとは言えませんでした。高校時代は選手だったこともあり、フェンシングのスポーツとしての「面白さ」と「世間の認知度」の乖離も感じていましたし、その溝を埋めたいと常々感じていました。
最初に着手したのは新歓及びそれに付随する広報でした。慶應フェンシング部を継続的に強化していくためには新入部員が欠かせません。他のメジャースポーツと違って、待っていても多くの新入部員が入ってくる、そんな甘い環境ではないと自覚していましたし、選手として試合に出場する立場でなくても間接的な強化ができるのではと思っていました。
前述の通り、私の入部は遅いものでした。高校3年間で選手としてのフェンシング人生はやり切り、自分なりに終止符を打ったつもりでいたからです。何より全国優勝を成し遂げる塾高の同種目(エペ人)の強さを対戦相手として肌で知っていたからこそ、その環境に身を置く自分を想像することは困難でした。
ただ、当時の私には「フェンシング部のマネージャー」という選択肢は、視界にすら入っていませんでした。だからこそ、かつての私のような人を減らし、後輩たちの選択肢を広げたい。フェンシング部のマネージャーの存在、ないし、この部が持つ魅力を発信することはある種、使命のように感じていました。
「SFC中高フェンシング部と大学フェンシング部には(塾高フェンシング部と比べて)壁がある」
これは主観であると同時に紛れもない事実です。
普段の練習場が大学フェンシング部の施設で、土日は大学生と練習し、春・夏合宿の7泊8日ずつをともに汗を流す塾高生。一方、湘南藤沢キャンパスにおいて中高6学年で練習をし、大学とは合宿もしない接点が希薄なSFC生。構造や立地的な問題で明らかな壁がありました。
そんな中でとあるOBが何気なくこぼした一言が強烈に印象に残っています。
「塾高がいくら強くなっても、大学フェンシング部の女子は強くならないんだよなあ」
男子校である塾高からは、当然女子部員は来ません。内部からの部員が主軸である以上、女子チームの強化にはSFC中高からの継続率向上が必要です。
そんな中で自分ができること、それがSFCとの「パイプ」を太くすることでした。選手たちが「今」の勝利のために剣を振るうなら、私は「未来」の勝利のために礎を築く。その気概で、SFCのコーチとして顔を出し、Instagramの発信を強化し、大学練に来やすい環境作りに努めました。来年の新大学1年生は私がSFCフェンシング部のエペリーダー時代に、ゼロから教えた子たちです。今では見違えるほど立派なフェンサーになっています。もしこの文章を読んでいたら入部を真剣に検討してみてください。(もちろんエペ人以外も)きっと何にも代えがたい4年間を過ごせると思います。
話が若干逸れましたが、要するに広報には狂気的なまでに力を注ぎました。当初500人程度だったフォロワー数。長年、早稲田の後塵を拝していた状況。「大学フェンシング界で最大規模のSNSにする」という目標を掲げ、走り続けた結果、今ではフォロワー1800人を超え、名実ともに大学フェンシング界トップのアカウントへと成長させることができました。もちろん自分一人の力ではなく、同期や後輩の協働あってこそですが、「この部のInstagramを変えたのは自分だ」と自信を持って言い切れます。それだけの熱量を持って、やり抜いてきたからです。
もう一つ私が心血を注いだのが、写真による「記録」という貢献です。
自分が戦う姿を残してもらえることは嬉しいのではないか、そう思い、全力の瞬間の尊さを形にしたくて始めました。「毛塚さんの撮る写真は最高」との後輩の言葉や、撮影に行けない時にあからさまに残念がってくれる姿は何よりの励みでした。(結局、撮りたい欲求が勝ち、ゼミを休んで駆けつけたこともありました、、、笑)
ふとした瞬間に目に入る、選手のスマートフォンの待ち受け画面。あるいは、SNSのアイコンやパソコンのデスクトップに、私が撮った写真が選ばれているのを見つけたとき、自分の活動が報われた気がして密かに喜んでいました。
そうしてシャッターを切るうちに、「写真を通じて、選手の力を引き出せるのではないか」と本気で思うようになりました。微力ではある、そんなことは百も承知で。それでも入部当時に抱いていた「自分だけにしか出せない価値」を示せるのなら本望でした。そういった想いもあり、最後の年はリーグ戦、王座、関カレ、インカレとすべての試合に帯同し、レンズ越しに彼らを鼓舞し続けました。
個々の応援は、必ず選手の力を100%以上に引き上げる。その確信があったからこそ、今年の早慶戦は「史上最大規模」で開催したいと強く願っていました。
野球部やラクロス部など他部活の早慶戦に足を運ぶたび、その熱気に圧倒されると同時に、「フェンシング部もこうありたい」という想いを抱いていました。同期の中でも「今年の早慶戦は、ホーム開催、なんとかして盛り上げたい」そんな想いは当初は漠然と、しかし心の何処かには確実にあったと思います。
そして、今年の夏頃に本格的にタスクフォースが発足し、動き出しました。本当に参加メンバーの各々がそれぞれの役割を精一杯全うしていたと思います。私は主にSNSの投稿物の作成、横断幕の作成、早慶戦用のHPの開設・運用、当日の演出など多岐にわたることに携わり、その何もかもが前例のない試みばかりでした。
日吉の横断歩道前に2週間掲げた横断幕。自分が作った横断幕が日吉のあの場所に掲げられたのは素直に嬉しかったです。実際、あれを見てどれだけの人が興味を持ち、横断幕がきっかけで来場してくれたかはわかりませんが、一定程度の人の目に触れ、認知には繋がったと思います。また、早慶戦のHPの作成もかなり頭を悩ませました。「ダサくては大会の格が落ちる」そう思い、自分のセンスを信じて作成しました。どう魅せれば選手がかっこよく見えるか、少しでも興味を持ってもらえるかをずっと意識していました。まだこのHP内に早慶戦のページが残されていると思うので、お時間があればぜひ覗いてみてください。
そしてやはり、入部当時からこだわってやっていたInstagramにおける広報。これぞ集大成とばかりに、魂を込めて込めて込めて込めて込めまくりました。投稿内容に然り、投稿時期に然り、いつどんなものを投稿すればその効果が最大限発揮されるか。何度も練り直して、考え尽くしました。特に出場選手紹介の動画は早慶戦前のボルテージを引き上げる一役を買えたと自負しています。かなり前から構成を練って、使用楽曲を決めて。出場選手に限らず、部全体の気持ちを高める一助になれたのなら、望外の喜びです。
膨大すぎる作業量は一人では限界がありました。ちえちゃんやあんりちゃん、小西の協力のお陰です。ありがとう。
さらに当日の演出。選手からの「入場曲を流したい」という要望に応えるべく、試行錯誤を重ねました。本番で自分が作った映像が流れ、選手が大喝采の中入場した時、これは最高だと鳥肌が立ち、感じたことのない高揚感を覚えました。
「最高の舞台を整える」
ここまでしか私の立場上、関われません。私は点を取ってくることはできないからです。だからこそ、出場選手全員が気持ちよくピストに立てるよう、できることは全てしました。
試合後には選手からの「大勢の観客に注目を浴びながらの入場は気持ちよかった」という言葉や、OBOGの方々や友達からの「クオリティが高く、凄かった」という最大限の賛辞を頂けたことは何にも代えがたい喜びでした。
当初は本当に全部遂行できるのかという不安もありましたが、一つ一つ実現されていく過程は期待感を増幅させましたし、今までのフェンシング部の早慶戦ではに類を見ないクオリティで開催できたこと、自分もその一翼を担えたことは一生の財産です。
長々と書き綴りましたが、私が伝えたかったのは「自分にしか発揮できない存在価値を見つけてほしい」ということです。
マネージャーとして何をしたら選手の助けになるか、選手がより良い環境でプレーできるか。そこに想像力を働かせ続けること。
誰でもできることを率先してやる、当たり前だけど難しいですが、あくまで大前提です。その先にある「自分にしかできない貢献」を全員が追求し続け、実践していく。全員がそうすれば、組織は自ずと良い方向へと進んでいくはずです。
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最後になりますが、7年間フェンシングを通じて、関わってくださった皆様へ感謝と後輩への激励を申し上げます。
監督、部長、コーチ、先輩方
業務を通じて、人としての在り方や組織への向き合い方など、多くのことを学ばせていただきました。未熟な私をご指導いただき、本当にありがとうございました。
ちえちゃん
4年間ありがとう。考え方も違うことのほうが多くて、ぶつかることも少なくなかったと思うね。僕が論理型なら、ちえちゃんは感情型っていう感じかな笑。でも、だからこそ自分にはない視点をたくさん持っていたり、僕が苦手なことがちえちゃんには得意だったり、頼もしく思っていました。角度は違えど、「この部を良くしたい」という熱量は、誰よりも真っ直ぐで強いその姿勢を心から尊敬していました。そして、数少ない僕の口が硬いことを証明してくれる一人でもあると思います笑。今後もよろしくね。
みやび
4年間ありがとう。そして主務お疲れ様。副務時代、先輩方やOBOGの方々などに囲まれながらの幹事会。2人で副務だったからこそ心細くなかったと思います。また、これまで先輩から当たり前のように降りてきていた会計業務が、みやびが主務になってからは、ほぼ業務として振られなかったと思います。一人で黙々と裏で業務を着実に遂行しているのは流石でした。お互い違うステージに行くけど頑張りましょう。
ちひろちゃん
入部当初と比べ、最も頼もしい存在へと変貌を遂げたのは間違いなくちひろちゃんだと思います。早慶戦担当という重責。表には出づらいけど毎年かなり前から準備をしていて、その働きが、最高学年の晴れ舞台を毎年作っていると思います。これから責任が増すポジションになると思うけど、自分らしさを失わず頑張ってね!
ももちゃん
自分の引退を一番惜しんでくれた後輩な気がします。嬉しかったです。オール慶應や日曜の小学生練習など僕の業務の多くを引き継いでくれました。飄々としているように見えて、実は水面下で泥臭く努力し、葛藤しているタイプだと感じています。またなんでも相談に乗るから遠慮なく連絡してね!
かみちゃん
かみちゃんの明るさは部全体を本当に明るくしてくれると思います。それは選手、マネージャー問わず様々な人を助けている気がします。僕たちの代が引退する前に早く留学から帰ってきてほしいくらいでした笑。帰国後は半年という短い期間かもしれないけれど、持ち前のエネルギーで、これまで以上に部に貢献するのを期待しています!
ゆいちゃん
今年の夏合宿のときに、明らかに以前よりシゴデキになったなと感じました。周囲への気配り、視野の広さ、そして行動の早さ、素晴らしかったです。マネージャーの同期がいないことでの心細さはあるかもしれないけれど、頼れる先輩や後輩がたくさんいることを忘れないで。周りを存分に頼ってこれからも頑張って!
上P
唯一の男マネになったな。逆紅一点ということで、それはそれで価値が出てくるのでどう利用するかは自分次第だよ。マネージャーの募集が多い中で、上Pを推した4月の選択は間違ってなかったと思えています。上Pが中1の頃からの付き合いだけど、いい意味で変わらなくて、唯一無二の魅力を兼ね備えていると思うのでそのまま突っ走って!弟にご飯分けてあげるんだぞ笑
あんりちゃん
SNS、あとは頼んだよ。上げに上げまくったハードル、そう簡単には超えさせないつもりですが、いつか必ず飛び越えていくと信じています。あんりちゃんなら、自信を持って、後任として任せられます。でも、もし不安ならいつでも相談に乗るので連絡してね!
えまちゃん
間違いなく今年の早慶戦の立役者です。僕が演出面に専念できたのも、強固な運営基盤があってのおかげです。えまちゃんは僕と似ていて自分の意見をしっかり発信できるタイプな気がします。自分の信念に沿って残りの3年間を全力で駆け抜けて!
マネージャーの後輩(全体)
マネージャーという立場上、「選手>マネージャー」という図式に当てはめ、そういった先入観で語られることは少なくないです。不思議なもので、何もしない人ほどマネージャーに文句を言ってきたりします。4年間順風満帆で過ごせるかと言われればNOだと思います。おそらく、辛いこと、大変なことが大半でしょう。けれど、だからこそ、自分の必要性と存在価値は自らの手で示していくしかないです。溢れんばかりの業務をこなし、フェンシング部を支えているのは紛れもなく君たちです。その事実を誇りに思い、胸を張って、時には「私がいなきゃ回らないでしょ」と傲慢なくらい強気に、周りに必要とされる人間になってください。「〇〇がいたから部が変わった」そう言われる才能が、みんなにはあると思います。今までありがとう。ご飯行こうね。
選手の同期
フェンシングに真摯に取り組んでいるみんなの姿からものすごく刺激をもらっていました。大学では選手を離れた身として、週5回の練習に打ち込むみんなをものすごく尊敬していました。平凡とは真逆みたいな代で、何かと事件が勃発し、ギクシャクしたり荒れたこともいっぱいあったけど、誰ひとり辞めずに18人で走り抜けられたこと、本当にすごいと思います。たくさんお世話になりました。ありがとう。
SFCフェンシング部の同期
7年間こうしてフェンシングに携わり続けられたのは、最初の3年間、このスポーツを大好きになれたからだと思います。それは間違いなくみんなのおかげです。ありがとう。どうせ定期的に会う仲でしょう。今後もよろしくね。
両親
高校でフェンシング部への入部を選択するときも、大学で體育會フェンシング部への入部を選択するときも、そっと背中を押してくれたのは2人でした。その支えがあったからこその、充実した7年間でした。選手時代からの7年間、そしてフェンシングだけでなく22年間これまで本当にありがとう。
その他、ここに書ききれないほど多くの方々に支えていただきました。心より御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
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さて、次にバトンを渡すのは、”ごっぱ”ことフルーレの合田晴季です。
後輩には「歩く週刊文春」とまで言われるほどのゴシップ好きの彼は、帰りの大井町線で2人になると「それでそれで??」と部内の噂話を根掘り葉掘り聞き出してきました。
振り返れば、合宿ではごっぱと一番多く同部屋になった気がします。距離が縮まった1年の春合宿。中日のコロナ検査以外すべてを睡眠に費やし、夕食に遅刻しかけた彼をダッシュで起こしに行った2年の夏合宿。そして何より印象深いのは、今年の夏合宿です。小澤が合宿期間中にハマっていたものの差し入れ(春雨とモンスターのマンゴーロコともち食感ロール)のために夜のローソンへ繰り出したのはいい思い出です。
普段はあまり多く語らない性格で、スマホが縦画面なら漫画、横画面ならにゃんこ大戦争に興じている彼。ただ、団体戦のベンチで見せる誰よりも大きな声援や、時折垣間見える想いの強さ、MTGでの核心を突く発言は目を見張るものがありました。そんな”ごっぱ”の内に秘めた想いに、ぜひご期待ください。
