【引退ブログ Vol.6】 合田晴季(フルーレ/理工学部/慶應義塾高等学校出身)
【引退ブログ Vol.6】 合田晴季(フルーレ/理工学部/慶應義塾高等学校出身)

毛塚からバトンを受け取りました。フルーレ四年合田晴季です。
毛塚と一年生の春合宿で同部屋になった時、先輩男子マネージャーが居ない中で「もしかしたら肩身の狭い思いをしているのではないか…」と少々気遣っていましたが、話している内に全く要らぬ心配だったなと安心していました。そこからというもの、帰りの電車が一緒だったり、何回も合宿が同部屋になったりと何かと縁があった毛塚。特に最後の夏合宿では色々ありましたね………。
何かとバチバチだった僕らの代ですが、その中でも人一倍志があって、常に堂々と自分の意見を言ってくれる毛塚は、とても頼もしく有難い存在だなと感じていました。
マネージャーとしても、フェンシングのカッコいいイメージを前面に押し出すSNS、写真撮影、そして欠かせない早慶戦での働きなど、まさに仕事人といった印象でした。特にマネージャーの中でも色々あったかと思いますが、その中でも自分の意見を強く持ちながら、僕たちプレイヤーを常に支えてくれて本当に有難う。
ではまたいつか…。
はじめに
改めまして、こんにちは。元四年男子フルーレ合田晴季です。あまり過去を振り返らない性格上、「書くことあるかな?」なんて思っていましたが、いざ全てを終えてみて、今までのことを振り返ってみると意外に書けることが多く、人並みに苦しみ、人並みに考え、人並みに努力したんだなぁと、少々感慨深いです。
自分なりにこれまでを振り返りながら、手短に綴っていこうと思います。
今までの振り返り
約四年前、慶應義塾大学體育會フェンシング部に入部しました。すかした自分の性格上、今まで入部理由を聞かれてもはぐらかしたり、本意ではない答えをしてきたりしたのですが、入部した一番の理由は、高校でのフェンシング活動が不完全燃焼で終わってしまったことにありました。
高校編
友達に誘われるがまま道場へ見学に行き、「なんとなく格好良さそうだから」という理由でフェンシングを始めました。偶然にも普通部で同じ部活だった人が多かったことと、父親が剣道をやっていたことも合わさって妙な縁を感じ、フェンシング人生をスタートさせました。しかし、高校一年生の終わり頃にコロナ禍となり、大会がほとんどないまま先輩が引退し、あっという間に最高学年となりました。そして自粛期間中のzoom練習が明け、同期や入ってきた後輩たちに負けないよう練習し、「いざ最後のシーズンだ」となったときに重めに右足首を捻ってしまい、それを引き摺ったまま最後の大会が終わりました。それを経て、もう少しだけこの競技を続けたいと思ったことが、僕がこの慶應義塾大学體育會フェンシング部への入部を決意した一番の理由でした。
大学一年生編
高校ではコーチのご指導の下、「習ったことをとりあえずやる」といったスタンスであったので、ピスト上での相手との駆け引きや、どのような技が必要かどうかを自分で組み立てるなどといった本来のフェンシングの楽しさがわからないまま引退を迎えてしまったことが、当時の心残りでした。それを胸に大学では、「ピスト上で出す技であったり、動きであったりが成功あるいは失敗した時、それが100%自分の責任になるように、今度はコーチの教えに依存しすぎることなく、ある程度独立した存在としてやっていこう」といった決意を持って、四年間過ごすことを決めました。
高校引退後全く練習に行っていなかった僕が大学でもフェンシングを続けることに、驚いた方も多いと思います。そんな僕を温かく迎え入れてくれた当時のチームの皆様やコーチの方々には、感謝してもしきれません。
一年生の内は、練習についていくことに必死でした。大勢の強靭な先輩たちとの練習の中で、より多くのものを吸収しようと必死でした。それと同時に、高校の時よりもレベルの高い練習の中で、今までよりも高いレベルに行けているという実感があり、毎回の練習で一歩ずつ強くなっている感覚が本当に楽しかった思い出があります。その年の早慶戦では、今までの全てをぶつける勢いで輝く先輩たちおよび怪物同期一名を見て、「最後はこの舞台に立ちたい」と思ったことを今でも覚えています。
大学二年生編
二年生になると、少しずつ練習で長い間ピストを守ることが増えていきました。そして大会結果においても、自分の成長が少しずつ結果に表れるようになっていきました。大勢の強い先輩、絶対に負けたくなかった同期および後輩に揉まれながら練習し、秋には初めてインカレ個人の出場権を獲得。春には慶関慶同戦のメンバーに選んでいただきました。慶関慶同戦では自分でも予想外の活躍をすることができ、周りからの賛美と期待が少々痛かったものの、それが自信へと繋がっていました。
特に次年度は上級生が少ない中で、自分が強くなることが部への貢献になるという実感と責任感が、強く背中を押してくれていました。
大学三年生編
しかし三年生になると、これまでの様にはいきませんでした。迎えたリーグ戦の直前にコロナに感染してしまい出場が叶わず。(この時急な欠場なのにも関わらず、男子フルーレ一部残留を死守してくれたチームの皆には、今でも感謝しています。)直後に左足首の距骨骨折。丁度夏シーズンの真っ只中で「これからチームを引っ張っていくぞ!」という気持ちでいた時にこの急転直下は、中々堪えるものがありました。特に当時の夏合宿は丁度フランスから帰ってきた小西と同部屋で、練習後に部屋で嬉々として「ここは良かった」「ここは悪かった」といった具合で動画を楽しそうに見せてくれていたことを今でも覚えています。そんな楽しそうにフェンシングに向き合っている小西に対して、応援と同時にどこか悲しさを持ちました。
(余談ですが、当時はかなり自暴自棄気味で、幹部決めミーティングの際に戸田に対して言葉の選択を間違えてしまった場面があり、今でも後悔しています。直後にその事に気づき、戸田と夜更けまで話したことは印象深いです。日々迷い、苦しみながらも、フルーレリーダーとして立派に務めを全うしたと同時に、その今に滾りまくった全力は、きっと後輩たちにも伝播していると思います。)
怪我期間中、心境の変化が起きました。慶應チームの強化と自分の強化を別物として考えるようになりました。怪我をする前までは、団体メンバーとして自分が強くなることがそのままチームの強化になると信じていました。しかし怪我期間中は、別メニューをこなしていた自分を除いた練習の中に小西及び萩原を含めた一年生が入ってきて、戸田や二村を始めとしたチームメイトがどんどん台頭してくることを外から見ていました。そこでチームとして、「自分の代わりは居る」ことが目の当たりになりました。そして自分の強化が必ずしも直接的にチームの強化に繋がらないということを悟った瞬間に、自分がこのチームにできる貢献は何だろうということを考えるようになりました。
そこから、後輩の育成へ目を向けるようになりました。元々アドバイスをすることが大の苦手で、ファイティング後にアドバイスを求められてもファイティング内容の記憶が曖昧であり、自己流で且つ感覚派であったため、アドバイスに説得力を持たせることに苦戦していました。それに加え「怪我により長い間ファイティングをやっていないのにも関わらず、本当に身になるアドバイスが出来ているのか」という事の不安でいっぱいでした。そこで、今まで感覚的にやってきたことの解像度を上げるために、一度自分のプレーを言語化してみることにしました。丁度暇だったので、自分なりのポイントの付き方やガードの位置などを日々マネキンと格闘しながら研究し、他の人の意見も交えながらスマホにメモする所から始めました。特に夏合宿中は、同じく怪我をしていた金井とひたすらレッスンしていたこともあり、自分および相手のプレイスタイルの整合性・改善点などをひたすら模索し、これまたノートにメモすることを繰り返していました。こうした言語化により自分の解像度を上げたことは、これより先ずっと、自分にとっての財産となっていました。
そして当初の課題であったアドバイスへの説得力の持たせ方について、その人の強さ自体であったり、「○○がそう言っていた」であったりが一つの説得力の持たせ方になるのに対して、僕はひたすら論理的に話すことによる説得力の持たせ方を心掛けるようになりました。レッスンでは相手の具体的なファイティングでの失点を一つの課題として抽象化し、それを解決するために具体的にどういったアプローチをするべきかを具現化するといった流れを主として、その中で相手がどういったことを練習したいか、どういったことをすべきか、何を自覚していて何を自覚していないかなどを模索していくといった一連の流れを、話下手ながらも自分の中で確立させ、苦戦しながらも相手がより良いものを得られるように、精一杯努めました。そしてその中で、今まで自分の「あまり他者に依存しない取り組み方」を基に、「最後に結論を出すのはその人自身」という考えを常に念頭に置きながらアドバイスを送っていました。
その中で、下級生が自分とのレッスンで練習した動きをファイティングでも使ってくれていたり、レッスンでわからなかったことを後で聞いてきたり、自分にとっての新たな知見に出会えたりなどの新たな楽しみが増えていきました。そして、アドバイス自体により説得力を持たせるためにように自分も努めるといったことが、当時の僕にとって一つのモチベーションとなっていました。
(僕にとっては)本当に長い時を経て、関カレの直前あたりに復帰しました。怪我明けのファイティングで感じた感想は2つあり、「思ったより動ける」と「アタックの距離が短くなっている」でした。夏合宿を経験していないことにより、フットワークの強度で置いて行かれるということを危惧していましたが、元々自分のフットワークが良かったこともあり、思ったよりも悪くない感触。問題はアタックでした。ブランクの影響か、あるいは単に周りが上手くなったのかと思いましたが、数週間経って、自分の意識よりもアタックが伸びていないことに気づきました。怪我の影響なのか、あるいは心理的なブレーキがかかっているのかは定かではありませんが、今まで入っていた距離のアタックがことごとく防がれてしまっていました。(特に引退前の藤原さんに入っていたアタックが引退後の藤原さんに届かなかったことはかなり絶望でした。)これはいつか元に戻るのか、それとも一生このままなのかといった不安がありました。そして、たまたまアタックの調子が良い日に限って骨折した部位が痛み出すなどといったこともあり、いつ競技生命が終わるかわからない恐怖も同時に抱えていました。
そこで、今まで武器にしてきた鋭いアタックは諦め、代わりに足りない分の距離を補うためのルミーズと、左足への負担が少ないフレッシュを取り入れるため、練習することにしました。ここで、ルミーズは丁度入ってきた萩原君、フレッシュは桐谷さんと坂藤を参考に、時には本人に直接聞いてみて、なんとか形になりました。特にルミーズはいつの間にか種目内で僕の代名詞的存在となっており、少々複雑な気持ちでした。それと同時に、元々の長所だったアタックは自分の中で長所ではなくなりました。
大学四年生編
四年生となり、いよいよ最上級生となったと同時に、先輩が居なくなりました。新体制となった僕らの代が仕切るフルーレの練習ではミーティングやフィードバックを多めにし、新しく団体レッスンをやってみるなど、かなり多くの試みを行いました。中には最後まであまり浸透しなかったものもありましたが、最初の内だからこそトライアンドエラーが許されるというわけで、色々な試みをしたからこそ、見えてくる課題も多く、試してみて良かったなと思っています。
最上級生となり種目間を超えて同期とミーティングをする機会が増え、その中で自分の立ち位置はどうあるべきかを考えるようになりました。僕は元々他の同期と反対の意見を持つことが多かったのですが、僕はそれを長所と捉えました。自分の視点の違いを活かして、大まかな全体の流れの形成には従いながらも、それにより生じうる問題点を認識してもらうために、常に周りを見て、種目内外問わず、同期含めどの部員に対しても意見できる立ち位置にいながらも、自分に対しては気軽に不満点、改善点を言うことが出来る対象であろうと振舞いました。
ここで気を付けたことは、無理に自分の意見を通そうとしないことです。自分の意見が決定に反映されないからといって自分の意見が誰にも聞こえていないかと言われれば、決してそうではありません。むしろ、自分一人の声で最終決定が傾くのであれば、それは元々の軸が揺らいでいたという事です。結果的に意見が反映されないことは数えきれないほどありましたが、あくまで意見があることを伝えることこそが重要であるということを認識し、それを承知した上で、一つ一つの発言に重みを持たせるために、必要なことだけを伝えるように努めていました。
日々の練習においては、明るい雰囲気を作ることに努めました。今の四年フルーレはそれぞれが志を持っており、新しくなった四年中心の体制は練習を重ねる上でも、「今年度のフルーレの方向性」を指す矢印は非常に強固だったと思います(そうであっていてほしい)。練習の雰囲気も、四年が調子の良い日は練習の雰囲気も非常に良く見えました。しかしその一方で、皆の出来が悪い日は練習の雰囲気も全体的に暗くなり、時にはそれが尾を引くことも認識していました。それを経て、四年全体が暗い雰囲気になることを避けるために、自分もファイティングの調子が上がらないときも、なるべく明るく振舞うよう努めました。正方向に突き進む要素が既に揃っているなら、自分は負方向へ行かないように軌道修正する要素であろう。その上で、どんな時も明るく、気軽に話しかけやすい雰囲気をつくることは、四年の中で面の皮が厚く、逆境から立ち直る速度も一番速いであろう自分が一番出来ることだと思い、行動してきました。
元々感情を表に出すタイプではなかったので、気丈に振舞うことだけなら容易にできました。しかし問題は、気付かぬうちに気丈に振舞うことに囚われすぎて、その日その日のプレーに集中することの優先順位を下げてしまっていたことです。そしてそれを、自分が最後になるまで気づかなかったことです。自分の練習はしっかりやりつつ、一方で周りから見ればあまり気丈に振舞うといったことは、マルチタスクが苦手な自分にとっては難しいものでした。それにも関わらず、自分ではそれができていると思い込んでいました。そこに疑問符が付いたのは、インカレの直前あたりでした。自分の試合内容よりも団体メンバーや後先長い下級生へのより良いアドバイスに重きを置いたところ、あまりにも自分の出来が悪くなる。インカレが終わり、より一層相手を見て、より一層良いアドバイスを送ろうと練習に臨むと、アドバイスを送るどころではないほど自分が弱い。そしてその練習における意識は、大小の差はあれど、僕が今までこの一年間重きを置いてきたことでした。その件で澤田さんにも苦言を呈され、一度練習後夜遅くまでお話しする機会がありました。その時、自分が思っていたよりも澤田さんが自分に期待してくれていたこと。短くなった僕のアタックを認識していた上で、それを意識の問題だと思っていることなどを初めて知りました。もちろん、自分の体のことは自分が一番よくわかっていると思うし、第三者の意見であることは間違いではないのです。しかし、「あの時諦めた自分のアタックは、実はもう少し行けるのではないか」という疑問が生まれたきっかけを頂いたこの夜が、早慶戦の一カ月ほど前でした。
それからは、目の前の試合である早慶戦を意識し、自分のフェンシングへの理解度を上げることに注力しました。後輩へ良いアドバイスをするための考えるフェンシングではなく、試合内容をあまり覚えていない直感的なフェンシングに戻しました。(この時から、後輩たちにあまり良いアドバイスをすることが出来なかったことは申し訳なく思っています)。考えられる要素は全て試し、最後の最後でフィルトをビスコンチからベルギアンに戻すなど、一見血迷った決断も誰にも相談せず平気で行いました。するとある日、非常に良い感覚の練習がありました。まるで今まで作ってきたパズルのピースがすべて埋まったような、今までで一番の感触でした。良い感じに力が抜けて、良い具合に勝手に体が動き、間違いなく先週の自分よりも、怪我をする前の自分よりも間違いなく強い状態である自信がありました。瞬発的かつ勢いのあるアタックを打つことが出来ていると同時に、これまでの七年間で蓄積してきながら、一年半前から言語化しながら新しく身に着け磨いてきた数々の技や意識などといった要素が加わっていました。その練習において、最後までピストを守り続けた結果、久しく感じていなかった自信に満ち溢れた自分の意志が、再度強く背中を押してくれているのを感じました。
それ以降は、その状態の再現性を高めていくことだけを考えました。特に試合形式の練習ではどうしても緊張から動きが硬くなってしまうことが多く、残り少ない練習の中で、自分の強い状態である直感的なフェンシングに持っていくマインドセットを確立する必要がありました。団体練習で大炎上しながらも萎えることなく必死に藻掻きながら、ようやくそれを自分の中で確立できた日が、早慶戦約一週間前の最後の団体練習の日でした。こうして手にした物は不思議と、自分の中で確証となっていました。今までまわり道をしてきたようでありながらも、一度は離れた道だからこそより多くのピースを持って戻ってくることができたことの嬉しさ。そしてそれと同時に、手にした「これ」が偽物で良いはずが無いと、静かに炎が灯ったことを覚えています。
今までの早慶戦に対する思い入れは、大学一年生の時に見た早慶戦が感動的だったということだけでした。四年生としての最後に輝けるその舞台で、今までの成果を全てぶつけて終わりたいと思っていました。しかし怪我も含め、様々な困難を乗り越えてきてからは、「有終の美」とは別に、「答え合わせ」という強い意味を持つようになりました。引退が近づいてくるにつれて他の人に「もうすぐ引退することは悲しいか」と良く聞かれることがあり、その度に僕は「早く引退したい」と返していましたがそれでも、「早慶戦にだけは出たい」という確固たる意志がありました。その真意は、「今まで積み上げきたものが本物なのかどうか、早く答え合わせがしたい」ということ。個人としてもチームとしても今まで取り組んできた行動が、どういった形で実を結ぶのかあるいは結ばないのか。その結末を、早く知りたかったのです。元々応援されるのが苦手なこともあり、インカレなどといった早慶戦以外の大会における団体メンバーに入ることに対してそこまで執着がなかった自分ですが、そんな理由で「最後の早慶戦だけは出場したい」といった願いを密かに持っていました。
そんな早慶戦に出場することが決定し、最後の一週間で得た自信と確証により、この我儘は更に強固な意志となりました。チームの目標達成としてはもちろん、自分の物語の終止符として。それが敗北で終わって良いはずがないという想いで、早慶戦を迎えました。
結果として慶應は負けたものの、僕個人としてはこれ以上ない結果となりました。
男子フルーレでは、「ピスト上で出す技であったり、動きであったりが成功あるいは失敗した時、それが100%自分の責任になるように、コーチの教えに依存しすぎない」という当初の理念の中で得た、自分だけでは及ばない視点の重要性および感謝の思いを胸にピストに立ち、自分が今まで幾度となく挑戦して、失敗して、ようやく手にした武器を右手に持ちながら、最後の最後で自分を信じて突き進むことでチームの勝利に貢献できたことは、自分のフェンシング人生における終着点として、きっと大きな財産になると思っています。
女子フルーレでは、今まで幾度となく心折れながらも必死に足掻き、願い、戦ってきた今までの軌跡を間近で見ながら、共に願い、共に戦ってきたことが実を結んだ結果となり、自分のように嬉しかったです。
慶應チームとして勝利で終わることが出来なかったことは本当に悔しいし、心残りが無かったかと言われれば決してそのようなことはありません。特に男子エペに関しては、今まで強い部分しか見てこなかったということもあり、最後まで勝利を掴んでくれると思っていたからこそ、ショックが大きい結果となりました。
しかし、こういった経験を経て、これからがあると思っています。僕もこの部活で得た経験、知識、その他諸々をフル活用して、この先にある大海原を精一杯楽しんでいきたいと思います。
伝えたいこと
次に、僕自身が今までこの部活で得たものの中で特に伝えたいことをピックアップして書いていきます。尚、これはあくまで僕の主観なので、全ての人に当てはまる訳ではありません。あくまで一個人の妄言として読んでください。
結論ありきで考えるな!
早慶戦を終えてみて思ったことは,すべての努力が狙った通りの結果を出すとは限らないことです。実は僕はチームにとっても自分にとっても大きな意味を持ったこの早慶戦に向け、実は去年の早慶戦の動画を視聴するなどして、誰が相手でも勝てるようにそれなりの準備していました。(これは今年の慶同戦の直前に後輩の篠原くんが用意してくれた動画資料に目を通さず、その結果苦汁を飲まされたことを反省してのことでした。)
終わってみれば、相手はエペの中本くんで、僕が一番対策していない相手でした(メモ:普通にやる)。用意していた竹内・川邉対策は見せる機会がなく、今まで積み上げてみたものに比べればあっけない終わりだったなというのが正直な感想です。ですが、もしも今年の初めから中本くんと当たることが判明しており、それだけの対策を一年間やってきたとしても、きっとその世界線の僕は現世界線の僕よりも弱いと確信しています。最初から結論ありきで取り組んだものは、狙った結果を出すことが出来る保証は無い上に、得た結論が自分の予想を超えてくることはもっと無いです。
これは、日々のファイティングにも同じことが言えます。もし、狙った結果をそのまま得ることが出来る超人ならば話は別かもしれませんが、凡人の僕から言わせれば、針の穴を通す作業に等しいです。その上で僕は、ファイティングに入る前は大まかな意識だけを頭に入れ、終えた後のフィードバックに重きを置くことを徹底していました。自分のためのフィードバックは、長いスパンで見たときに大きな意味を持ちます。自分の場合は感覚的にやった方が良いパフォーマンスが出せるという結論となりましたが、そういった結論を得るまでの過程で、論理的に考えるといったフェーズを経たことは非常に重要な要素でした。また論理的に考え、何が必要な技なのかを考えていた時間は、非常に有意義であったと共に、本当に楽しかったことを覚えています。
話が横に逸れてしまいましたが、とにかく結論ありきで考えない事が一番大事だと僕は思っています。結論を先に考えてしまうと、次第に「その結果が得られなかったらどうしよう」などの余計なことを考えてしまいます。むしろ、「なんか思いついたからやってみよう」などの軽い気持ちでやった方が、良いものを得られることもありました。ただしその後に大事なのが、その再現性を高めることです。自分の主観であったり、相手の視点であったり、第三者の視点であったりなどの様々な要素を駆使して、偶然を必然に変えてみてください。そうやって自分の動きをアップグレードさせていく過程は本当に楽しい瞬間になるでしょうし、そうやって得たものはここぞの場面で、自分が心置きなく信頼できる武器になります。
怪我の時こそ、今までやってこなかったことをやる!それに自信を持つ!
もしかしたら気付いている人もいるかもしれませんが(フルーレの人は多分気付いているでしょうが)、僕は怪我が明けてから、レクを一回もやっていません(キーパーは何回かやりましたが)。その理由は単純に、怪我が怖かったからです。上でも述べましたが、高校の時にも怪我で出場機会を失い、そのまま引退しました。それ以降も些細なことで生じた怪我が局在していた中で骨折による長期離脱を受け、「どうせ怪我するならフェンシングで」という考えになり、レクをやらないという結論になりました。「最上級生としてどうなの?」といった疑問も自分の中ではありましたが、とりあえず骨折以降大きな怪我なく引退までこぎ着くという最低限の目標は達成できたので、この決断は正しかったということにしておきます。
さて、そんな怪我をいくつも経験し、別メニューとなる機会が本当に多かった僕ですが、その中で意識していたことがあります。それは、「通常メニューの劣化となる練習をしない」ということです。例えば僕が怪我をしていた時の練習で、無心でマネキンを突くであったり、審判を代わりにやるであったりしていた時期もありましたが、そういった練習は自分にとって、実のある物とは程遠かったです(それをやっている人たちを否定しているわけではありません。あくまで、僕自身の価値観の話です)。怪我中は言ってしまえば、「暇」でした。そしてその時間を、どう有効活用するかどうかが重要です。僕にとってそれは、ウエイトや、自分のフェンシングの解像度を上げることでした。そしてこの怪我期間の練習も含めて、今の自分があります。
しかし、上の様な意図を持ちながらも、常に自分を客観視することも重要です。怪我をしている人は必然的に、審判をお願いされることが多くなります。怪我をしている人たちは言ってしまえば、「暇に見える」のです。しかしお願いされたからと言って、「今自分の練習してるんだけど(#^ω^)!」などと怒ってはいけません。相手に悪意があるわけでもないし、「暇に見えてしまった自分」を反省してください。自分からの景色と周りからの景色が必ずしも同じとは限らないのです。しかし卑下することはありません。審判が終わったら堂々と、自分のメニューに戻ってください。最初の内は自分からの景色と周りからの景色が必ずしも同じとは限りませんが、繰り返していくうちに、周りは見ていてくれています。それを信じて、自分を信じて、堂々と今必要だと思ったことをやってみてください。
そして怪我に限らず、普段とは別のコンディションであるとき全般に関して同じようなことが言えます。壁に今まさにぶち当たっているときこそ、一度下がって、周りを見て、今必要なことは何かを考えることが重要なのです。そして、そこで「周りを見る」という選択肢が自分の中に持つこと自体が、この先の競技人生において欠かせないものになると思っています。
練習でしか得られないものがある!
特に大事な試合の直前になると、「練習は試合のつもりで」といったフレーズがよく言われます。それに対しての僕の意見は、「必ずしもそうとも言い切れない。」です。
自分の状態が良い時は、「体が勝手に動く」といった感覚があります。これは自分の練習の賜物であると同時に、毎回の練習で常にその状態であったとして、それは上達には繋がらないとも思っています。上達のために最適な動きと、試合で勝つために最適な動きは必ずしも一致しません。
ここで一番重要なことは、「スイッチ」です。試合で勝てる時と練習で必要な動きそれぞれを、意図的に引き出すことが重要です。そしてそのためには、自己分析が最も重要です。試合で勝てる時・試合で負けるとき・練習で必要な動きそれぞれが、実際どういった動き・メンタルなのかを知ることで初めて、それらを引き出すスイッチが生まれます。
ここのキーとなるのが、「メンタルが動きを引き出す」ということと、「メンタル単体で考えない事」です。集中できている時は結果がどうであれ、自分の良い点悪い点が浮かび上がるでしょう。問題は俗に言う「気持ちが入っていないとき」です。こういった精神状態においても、パフォーマンスの良し悪しは必ず存在します。しかし問題は、その良し悪し自体に自分が気付くことが出来るかどうかです。試合にあまり集中できていない時。相手に気圧されてしまっている時。油断してしまっている時の自分のパフォーマンスがどうなっているかどうかを客観視あるいは動画などで確認することなく、「集中できなかった。相手に気圧されてしまった。油断したから負けた。」などの感想を持つことは、状況認識としては正しくても、次に繋がりません。実際の映像として具体的にどういうプレーが負けに繋がったか。どういうプレーができていなかったか。などの実際の動きに焦点を当ててみてください。イメージしている自分の動きを100%自分に投影させることが出来る人は存在しません。ましてや、メンタルが不安定な状態であれば尚更です。その時こそ、その時の自分のメンタルにのみ着目するのではなく、その時の実際の動きに着目することが重要です。そうすることによって、自分がどういったメンタルの時にどういったプレーが出やすいということを知ることが出来ます。そして、そこから立ち直る術を身に着けてください。立ち直るスイッチとなるのも、これまた「メンタル」です。このスイッチを実際の動き、例えば「アタックが入ること」などにしてしまうと、アタックが入るまでスイッチが入らず、実際のファイティングの動きも単調になってしまいます。だからこそ、切り替えのスイッチを自分の中だけで完結する「メンタルの切り替え」にしてみてください。そうすれば自然と、自分の体も付いてくるようになります(付いてこなければ、それは練習不足またはアップ不足です)。
そして、殊更大切な試合になればなるほど、言い換えればフェンシング人生において残りの試合が少なくなればなるほど、そういったメンタル面でのプレッシャーは強くなっていきます。大事なことは再三言いますが、そこから戻ってくる術を身に着けているかどうかです。
そしてこれらなるべく、大会ではなく練習で身に着けるべきです。立ち直る術を身に着けるためには、実際に様々なアプローチで、様々なことを試すほかありません。フェンシングはゲームのように単純ではなく、一つ試せば必ず一つの結論が得られるとは限りません。何かしらの意図を持っても、対戦相手の状態や自分の気付いていない部分など多くの要素があります。その為一つの結論を出すだけでも、多くの試行回数が必要になります。これを試合でやってしまうと、数少ない試合機会を棒に振ることに繋がります。その中で、試合に負けても次がある「練習」という場を是非とも有効活用してほしいです。負けても良い試合はないですが、沢山負けて、沢山得てほしい。そんな想いです。
「何かされてから考える」ではなく、「何をされても大丈夫」な様に考えろ!
普段の日常生活の僕はかなりマイペースで、何か課題が見つかった時でも「どうやって解決しようか」といったところから始まります。しかしフェンシングの様な一瞬の判断が要求される状況においては、課題→思考→解答では遅く、不十分です。ではどうすれば良いか。それは、準備→課題→解答→思考→準備です。一見手順が増えているように見えますが、緊急性が求められる課題に直面した時は、その課題に対していかに早く解答を出力するかが鍵になります。この時、その解答が合っているかは二の次です。開始の合図がかかる瞬間、「如何に余計なことに対して脳のリソースを使わないかどうか」を考えるようにしてみてください。
また、団体戦などのベンチからの声で、よく「次に何をするかを決めろ」という声を耳にします。しかし実は、それが良いのかどうかという点で、僕の頭の上には疑問符があります。
僕は理工学部に所属しており、現在はとある研究を行っているのですが、研究において大事なのは、変数を一つにすることです。それにより、一つ一つの結果が意味を持ちます。しかしそれはあくまで、その変数以外の要素全てをある程度制御できる場合に限ります。殊更フェンシングにおいては、自分の想像する自分と実際に動いている自分にギャップが生じることは当たり前。さらには、対戦相手のコンディションや成長などの要素が重なり、一つ入れれば一つ返ってくるといったような都合の良いことにはなりません。「次になにをするか」ということを具体的に考えるということは、結論ベースでの動きをするという事と同義であり、僕の論理からすれば、それは一概に良い結果に繋がるとは限りません。
その点で僕は、ある程度ぼんやりとしたイメージを持ったままピストに入り、いかに質の良いアドリブを出すことが出来るかどうかが一番重要だと考えています。普段の練習の積み重ねにより動きを体に覚えさせることでアドリブ力を高めることや、試合を繰り返すことで頻度の多いシチューションにおける解答をあらかじめ自分で準備しておくといったことが重要です。
そうして、準備した動き自体の質、それを如何に本番で発揮できるかの質を高めていくことこそが、練習で身に着けるべきものです。本番は練習の成果を出す場です。その中で、如何に最大限の力を発揮できるか。言い換えれば、如何に本番で最大限の力を発揮できるように練習での準備ができているかが、結果を出すうえで重要になってくると思います。
「無心で継続する」よりも、「継続した結果得られること」に着目せよ!
よく、「継続は力なり」という言葉を耳にします。個人的にあるいはチームとしてあるいは上級生として継続的な目標を持つことがあるかもしれません。そしてそれを最後まで意識することに、この先苦戦するかもしれません。そんな時は一度、その目標の意図について考えてみてください。ただ単に一つのことを継続するだけならば簡単です。例えば日常生活の中でも、歯磨きや風呂などを継続することは容易に達成可能でしょう。そしてそれは、体を綺麗にするという明確な目的があります。これはフェンシングの練習でも同様のことが言えます。
例えば「毎回の練習で一回勝つ」を目標にしていた人がいたとします。これは(個人差があるかもしれませんが)、決して達成困難ではない目標だと思います。しかし、例えば部員全員がこの目標を個人個人で持ったとして、それを年度の最初から最後まで忘れずに挑戦し続けられる人は、きっと一握りもいないのではないでしょうか。その理由は、「この目標を達成し続けたとして、試合に勝てる保証はないのではないか」と考えてしまうからです。この時、継続させる目標を持つあるいは与えるときは、その目標を継続したことによって得られるものは「ゴール」ではなく、「手段」であるということを忘れないようにしてください。先ほどの目標で言えば、「毎回の練習で一回勝つという目標」を掲げることによって得られる効果は、「毎回の練習で一回勝てたことの達成感」ではなく、「毎回の練習で勝ち負けを意識するようになること」や、「最後の一本を取りきるための組み立て方の構築」にあると思います(僕の認識では)。そういった意図を意識できれば、その継続的な目標を経た先にあるゴールが見えてくるはずです。
上級生が持つ目標だと例えば、「毎回あるいは周期的にレッスンのペアでフィードバックをやる」などといったことが挙げられます。この時、フィードバックによって得られるものは大きく分けて二つあります。一つは、第三者からの視点。もう一つは、プレーの言語化による自己理解度の向上です(僕の認識では)。しかしそれに対して、「上手い人からのアドバイス」のみを求めてしまうと、それは意図を履き違えつつあるといえるかもしれません。確かにそれも重要といえば重要ですが、最終的に自分の中の動きに落とし込む作業は自分が行うことが出来なければ、自分より上手い人がいなくなった時に何もできない人となってしまいます。その場その場で得られるものに満足せず、常に先を見るようにしてみてください。そうすればおのずと、自分が進むべき道が見えてくるはずです。
たかが第三者の視点。されど第三者の視点。
僕はこのフェンシング部において、なるべく自己完結できている存在であろうと心がけていました。特にフルーレでは澤田さんのレッスン枠が限られており(あまり大きい声では言えませんがコーチ陣の方々ももうお年寄りなので)、あまり他者に依存しないように強くなっていこうと思ったのが、先ほど述べた通り大学でフェンシングを始めると同時に決めたことです。そういった入口から入った結果として、自分に何が足りず、何を解決すべきで、何を得るべきで、そこに至るまでの道筋はどのようにするかなどの構築を自分で行う経験を豊富に得ることが出来たということは、きっと将来的にも大きな意味を持つと思っています。
そしてその中で欠かせないと感じたものが、「第三者からの視点」です。一見、これまでの「自己完結」の話と矛盾しているように見えるかもしれませんが、自己完結を目指した自分だからこそ、第三者からの視点の重要性が見えてきました。つまり、「完全なる自己完結ができれば、世の中誰も苦労しない」ということです。自分の眼から見える視点・動画を撮って、それを自分で見返したときに見える視点。これはどちらも、自分の脳のみの管轄です。しかし、自分の管轄だけでは、どうしてもすべてを見ることはできません。そこで重要になってくるのが、より多くの目と脳です。特定の誰かからだけフィードバックをお願いすることもお勧めしません。自分を分析してくれる目及び脳の種類は、多ければ多いほど良いです。しかし、「多くの人のアドバイスを聴きすぎると、誰の言うことを聴けばいいのかわからなくなる」こういう意見もあるでしょう。ここで重要になってくるのが、情報の整理と取捨選択です。アドバイスする側も人間なので、最初から貴方の動きを注視しているわけではなく、聞かれてからその時の情景を頑張って思い出し、その中で印象に残ったことを言っているにすぎません。その中で、いかに良いアドバイスを引き出すかが重要になってきます。例えば、より具体的なシチュエーションを限定してあげる(○点目の××の時…など)ことや、ファイティングの内容をある程度自分でコントロールする(難しいかもしれないけど…)ことで、そのファイティングにおける自分の解像度を上げることで、ある程度相手と対話をするなどが重要です。特に実力差があるマッチアップだと、ある程度意図のある動きをしており、試合の組み立ての考え方は間違っていなくても、それ以前に技術的な問題で負けており、そもそもアドバイスをしようにも「基礎練習頑張って」以外言えないことがあります。
決して、コーチや先輩の傀儡になってはいけません。アドバイスをもらうことはあれど、最終的に自分に取り入れるかどうかの判断をするフェーズを持ち、その上で情報の取捨選択が必要です。そして、コーチや先輩と「対話」してみてください。こういった考えを持ってこういった行動をしているのですということを伝えるのと伝えないのでは、相手からの視点が全く異なります。それを受けた相手の反応を見て、客観視された自分の姿がぼんやりと見えてきます。早急に直した方が良いのか、それも一つの強みとして維持しても良いのかどうかの判断は先ほども言ったように本人がするべきですが、その間に第三者がどういった印象を受けているかといった判断材料を、より多くの量得ることが大切です。
おわりに
以上となります。本来であれば今まで特にお世話になった方々への感謝を述べて字数稼ぎをしようとも思っていたのですが、思っていた十倍以上長くなってしまい、泣く泣く削除いたします。自分の話下手さ加減を反省するばかりですが、こうして振り返ってみても、高校でフェンシングを始めて良かったし、大学でも続けて良かったし、このチームでこのメンバーで良かったと心底思いながら引退という形となっています。これは決して当たり前のことではなく、今これを読んでくださっている貴方を含め、これまで支えてくださった方々のおかげで今の自分があるという事に、心の底から感謝したいです。
また、これまでつらつらと僕の経験談を書いてきましたが、残された下級生たちは必ずしも後を追う必要はありません。再三述べますが、最終的にどうあるかを決めるのは自分自身です。ただ、それを決める上で、書いてきたこれまでの証が少しでも役に立てれば、これ以上ない幸せです。
改めまして、今まで支えていただいた全ての方々へ向けて、感謝申し上げます。本当に有難うございました。
続きましては、同じくフルーレで共に切磋琢磨し合ってきた小西航路の引退ブログとなります。
早慶戦で選手としてだけではなく運営としても大きく貢献し、フェンシングが強い・英語ペラペラ・イケメン・高身長・高年収(予定)などなど非の打ち所がない彼ですが、一方で究極の変人としても知られています。家が近いが故に一緒に帰る機会も多く、練習からの帰り道に様々な話題について話し合ってきた仲ですが、毎度のことながら、スケールのでかい男だな(色々な意味で)といつも驚かされていました。
そんな超人と変人両方の性質を併せ持つ彼ですが、ことフェンシングに関しては人一倍熱い男でした。常に自信に満ちており、中でも彼のフェンシング姿から発せられる「俺が主人公だ!」といった様な覇気および謎の言語にあてられる度に、「意外とMBTI診断の結果も信憑性があるなあ…。」とつくづく思わされます。
そんな小西航路という大きな男から最後に語られる想いを、乞うご期待ください。
