【引退ブログ Vol.7】 小西航路(フルーレ/経済学部/慶應義塾湘南藤沢高等部出身)
【引退ブログ Vol.7】 小西航路(フルーレ/経済学部/慶應義塾湘南藤沢高等部出身)

こんにちは、4年フルーレの小西航路です。
今まで先輩方や周りの友人が書いた引退ブログを読むたびに、感化されていた私ですが、ついに自分が書く日がやってきました。
1ヶ月前ごろから引退ブログの期限を担当者に伝えられ、少しでもいい文章が書けたらなと思いながら内容を考えてきました。しかし、いざパソコンにこうして向かってみると、これまでのフェンシング人生と慶應フェンシング部における活動を通して学んだこと・感じたことが多すぎて何から書き始めればいいかなとすごく悩んでいます。
全く整理されておらず、言いたいことだけひたすら羅列してる稚拙な文章で申し訳ございませんが、自分が今までどういう考えのもとでフェンシングを続けてきたのかを振り返り、それを基に読んでくださっている皆さまにとって少しでも読んで良かったなと思っていただけるようなメッセージを僭越ながら書かせていただこうと思っています。
【紹介してくれた同期(合田君)へのメッセージ】
何はともあれ、前回の引退ブログ記事で自分のことを紹介してくれたフルーレの合田晴季君(ごっぱ)に対してメッセージを書かせていただきたいと思います。
ごっぱは高校からフェンシングを続けているわけですが、私は大学に入るまで全く関わりを持ったことがありませんでした。そのため、私より後に入部してきた時には絶対怖がられていたと思います。私が留学に戻ってきてからは、お互いをバカにしあったり、帰り道にたわいもない話をたくさんしたり、大分仲良しになれたと思っています(希望)。いつも練習が終わると「バイト!」「研究室!」って言ってそそくさと帰っていってしまうごっぱでしたが、早く帰りの支度しろよという思いが滲み出ながらもみんなと一緒に帰ってくれる日は心の中で「やったー!」と思っていました。
そんな、仲良くふざけ合ってくれるごっぱは、ファイティング(試合形式練習)の時にはいいことでもあったの?と言いたくなるくらい満面の笑みです。私の10年間のフェンシング人生でマスクの中であそこまで笑っている人を見たことがありません。ここからは仮説の話にはなりますが、ごっぱは色々な技や戦術を自分なりに「実験」していて、その試行錯誤のプロセスが楽しくて仕方ないからこその満面の笑みだと私は考えています。楽しみながらもいつも冷静に状況を分析して最適解を探していくごっぱの姿は、フェンシング中に限らず部活の話し合い中にも、多角的な視点からの発言という形で常に冴えていました。また、フェンシングから離れたところだと、遊びにいった時にみんなが気づいていないところで片付けを率先して行なって絶対に人に迷惑がかからないように注意を払っています。
こんな冷静さと論理性は自分には欠如している部分で、心から尊敬しています。そして、彼のそんな強みがなければ今年のフルーレチームのバランスは保たれていなかったと思うので感謝しかありません。
もっともっと尊敬と感謝を伝えたいところですが、これ以上は少し恥ずかしいのでここまでとさせていただきたいです。これからも仲良くして欲しいです。よろしくお願いします。
【フェンシング人生を振り返って】
ここからは、少しだけ自分のフェンシング人生と慶應義塾大学体育会フェンシング部における活動について振り返ってみようと思います。
急な話で申し訳ございませんが、皆さんは「国宝」という映画をご覧になられましたでしょうか。あらすじとしては、吉沢亮演じる「喜久雄」が歌舞伎の世界で自分の人生を犠牲にしながら高みを目指し続ける物語です。私は全くもって喜久雄ほど全てを犠牲にしてフェンシングに人生を捧げておりませんが、映画の中で自分と重ねることができたシーンが一つだけあります。
それは、喜久雄が色々な苦悩を経て、一つの舞台で全てを出し切った瞬間に「最高の景色」を見た瞬間です。少し青臭い表現で恐縮ですが、私はフェンシング人生の中で1度だけ「最高の景色」を見たことがあります。そして、その「最高の景色」を再び見たいという思いで追いかけ続けたのが私の大学フェンシング生活だったと思います。
高校時代まで
私は中学1年生の時にフェンシングをはじめました。今はなんとか中の中(頑張って中の上かな?)くらいの実力で全日本選手権に出場できる選手なれましたが、はじめたては本当に下の下でした。部内では全く勝てず、団体戦でも中学生の全部員で自分ともう一人だけメンバーに入れないみたいなこともありました。部活もサボりたくて辞めたい気持ちでいっぱいでしたが、なんとか踏みとどまって努力を続けたました。大学の引退ブログなので高校時代の詳述は避けますが、地道な努力を続けた結果、高校3年生の時には私の高校では誰も成し遂げたことがなかった男子個人インターハイ出場を達成しました。この瞬間が私が今までの人生で一番「最高の景色」でした。
出場が決まった時には、涙のせいかもしれませんが見るもの全てが輝いて見えて、周りの音は聞こえず全てがスローモーションのように感じました。あんな景色を見れたこと今でも本当にラッキーだなと思っています。その数週間後には団体戦でも史上初のインターハイ出場を決め、団体では初出場ながら全国3位になりました。自分でも信じられないほどの結果を出したのが高校3年生でした。
大学
綺麗な結果だったからこそそこに満足をしている自分はいました。また、大学入学と同時に4年間のうち2年間を海外大学で過ごすことも決まっていました。そのため、体育会入部を諦めかけていましたが、気づいたら蝮谷道場に向かっていて当時の長谷山主将と伊藤監督に入部許可をもらいにいっていました。これはあの「最高の景色」をもう一度みたいという気持ちがどうしても収まらなかったです。
留学から戻ってきた3年生の6月から、大学での「最高の景色」としての全国優勝を求めた戦いが始まり、フレッシュな気持ちでチームを盛り上げていきたいと思いながら復帰しました。復帰シーズンの3年秋は背負っているものが少なかったからこそ、思いの外いい結果を残せましたが、代交代をしてから練習では何もうまくいかないし、試合では周りからどう思われるかなどを考えすぎて苦しい日々が続きました。練習を重ねるにつれて「最高の景色」を追い求めることがどれだけ大変で苦しいことなのかを思い知らされていきました。
そして、絶望を見たのが春のリーグ戦です。苦しいながらも死に物狂いで高校以上の緊張感で練習をし、フルーレの全員が男子リーグ優勝・女子1部昇格に向かっていました。男子は中央大学に勝利をし、慶應としては久しぶりの3位という結果になりましたが、リーグ戦5戦は終始ギアが上がらず不安に打ち砕かれて、団体戦だからこういう考え方になるのもダメなのをわかっていますが、本当に戦犯と言っていいような試合をしてしまいました。その一方で、女子は1部リーグ昇格を劇的な形で達成していて、同期の渡辺瑚子はおそらく自分が求めていた最高の景色を見たんだろうなと嬉しい一方で羨ましくなりました。その思いで練習のギアをさらにあげて、より一層目標達成への執着心が高まって迎えた秋の関カレ・インカレも不甲斐ない試合をして終わってしまいました。自分はセンスがない、努力も足りてない、改善ができない、いろいろな言葉を自分にかけてしまいながらいつしかミスをしないフェンシングをしてしまって、自分を見失っていたと思います。
最後の全日本団体戦と早慶戦は個人の結果で見たら内容はかなり良かったですが、結局こうして引退ブログを書いている現在まで「最高の景色」を見ることができませんでした。
これらの経験から得た学びは「自信」とそれを鍛える練習の重要性です。
大学のフェンシング生活で「最高の景色」までは辿り着けなかった理由はただ一つだと思います。それは「自信」です。ピストに立った瞬間に他の選手から強いと思われたい、自分を疑っている人を見返したい、そんな思いがいつしか不安に変わり、自分で自分のことを疑いながらフェンシングをしてしまっていたからこそ、強みを出しきれずに試合が終わってしまっていました。しかし、自分なりの戦い方があることを自分に対して認めてあげれるようになってからは話が違います。全日本選手権や早慶戦では不安を感じずに実力以上の力を発揮できていたのは、不安でプレーが雑になる自分を押し殺し続ける練習を苦しみながらも繰り返して自信をつけていったからだと思います(周りにも支えられながら)。考えてみれば高校時代の夢のような結果を出した引退シーズンは自分の技が全国でも通用することを始めて知って自信に満ち溢れていました。
フェンシングは貴族のスポーツとか言われますが究極的には格闘技です。東京フェンシングスクールに通ってた時代の師匠・飯田雅也先生のお言葉をお借りすると
「格闘技だから前のやつを突き殺すつもりでやらないと勝てない。」
本当にその通りだと思います。どんな敵に対しても自分の力を信じて飛びかからないといけないのが格闘技・フェンシングです。そしてそのためにはいくら練習を頑張っていても「自信」をつけなければ試合に勝てないことをこの1年間痛感し続けました。
今後、フェンシングを選手として続けることはないと思いますが、これから私は社会人になるにあたって苦しい試練がたくさん待ってると思います。チームや周りの支えがあったからこそ学べた、「自信」と「不安を押し殺しに行く姿勢」の重要性は今後の人生の大事な糧にしていきます。
ただ、強調しておきたいのは努力は死ぬほどしていたおかげで「いい景色」は何度も見ました。悩みながらも磨き続けた自分の技を世界トップレベルの選手に決めて活躍した全日本団体。1年間戸田を中心としながらも(ありがとう)考え続けたフルーレのチーム作りが女子フルーレの早慶戦優勝・1部昇格という結果に少しばかりでも貢献できた瞬間。このような「いい景色」はたくさんありますし、自分の努力は無駄だったとは一切思っていません。むしろよく頑張ったなと言い切れます。でも、「いい景色」を超える「最高の景色」に届くためには「自信」がもっと必要でした。
後輩に向けて:部活は週に何回もあって苦しいことだらけですが試合で目標を達成できるチャンスはそう多くありません。もし、練習でできることが試合でできないことに困っているならば自分を押し殺している不安がどこかにないかを振り返ってみてください。それがわかったら今度はその不安を押し殺す練習を続けて自信をつけていきましょう。そして、周りの人の同様の挑戦を支えてあげましょう。簡単ではないことはわかっていますが、今すぐにでも取り組んで欲しいです。(私はそれを始めるのが遅すぎたので。。。)。みんなは努力を続ければ「いい景色」は見れる瞬間は訪れると思いますが、それに満足せずに自分が大学では見れなかった「最高の景色」に辿り着いて欲しいです。
【お世話になった方々へ】
最後に簡単ではございますが、お世話になった方々にお礼の言葉を書かせていただこうと思います。
・2025年度フルーレチームへ
本当にお世話になりました。俺は大変な理想主義者のせいでみんなを振り回しながらこの一年やってきましたが、ずっと慕ってくれてありがとう。登山とか料理大会とか訳のわからんイベントにも楽しい顔で参加してて嬉しかったです。本当に一生に残る思い出をたくさんさせていただきました。これからもちょくちょく練習に行くのでそこで会いましょう。
・OBOG、監督コーチの方々へ
私の10年間のフェンシング人生を有意義で幸せなものとすることができたのは、みなさまのご指導、ご支援のおかげです。そして、一人の人間としてたくさんのことを学ばせていただき、まだ未熟者ではありますが大いに成長ができたと思っています。本当にありがとうございます。
・家族へ
ここまでフェンシングをするにあたってたくさんのサポートをしてくれてありがとう。決して子供に簡単にやらせてあげられるスポーツじゃない上に、輝かしい結果を何回も残せたわけではないけど、それでもいろいろな形でのサポートと応援をし続けてくれてたからこそここまで来れました。おかげさまで一生の思い出をいくつも作れたし、人間として大きく成長できたと思います。本当にありがとうございました。
以上で私の引退ブログは締めさせていただこうと思います。ここまでわざわざお読みいただきありがとうございました。
【次回執筆者の紹介】
さて、最後は次の4年にバトンを渡してこの引退ブログを締めようと思います。次はおそらく自分にとっては今までの部活動で一番意見が対立してしまったエペの佐藤に渡します。
種目が違うこともありなかなか二人で関わり合う時間はありませんでしたが、合宿で同部屋になったり練習中に軽く話す時には、バカみたいな話もたくさんしながら笑い合いました。本当にいい思い出です。
でも個人的には佐藤にバトンを渡す上で触れずにはいられないのが、昨年の幹部決めの際に同期が頭を抱えてしまうほど意見をミーティングでぶつけ合ったことです。その時は意見が合わなすぎて本当にびっくりしてしまっていましたが、これからは笑い話にできるといいなと僕は思っています。こういうことを言うとあたかも僕が佐藤のことを敵だと思ってる感じですが、そんなことはありません。彼は大切な仲間でしたし、強い自身の信念のもとで陰でも努力を続ける彼のことを僕は心から尊敬していました。彼には直接伝えたことはありませんが、練習外の時間でも貪欲にレッスン等をしながらひたむきに努力する姿からは常に刺激を受けていました(本当に本当に本当です)。自分から見た彼はいつも行動で示すことへの執念があり、その姿は後輩の目にもきっと何かしら素晴らしい刺激を与えていただろうと思います。
そんな背中で見せる男佐藤は何を語るのでしょうか。乞うご期待ください。
